岡崎の変わるまちなか「QURUWA」と何する?

あの人のトライ:HQ丁the ひろなかだいじろうさん・佐々木まりさん

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愛知県岡崎市の「変わるまちなか」QURUWAエリアで、日々トライを続ける方々のお話を聞いていくシリーズ「あの人のトライ」。今回登場いただいたのは、2026年3月に、共同アトリエ「HQ丁the(ハクチョウザ)」をオープンした、デザイナーのひろなかだいじろうさんと木版画家の佐々木まりさんです。

岡崎のストリートやカルチャーシーンの中で表現を続けてきただいじろうさんと、ものづくりが身近な環境で育ち木版画の道へと進んだまりさんが、ふたたび思い入れのある地元に戻り、自分たちの拠点を立ち上げることとなった経緯や、「日常の中でまちに馴染んでいくこと」を大切にする現在のスタンスや場に込めた想いを伺いました。

聞き手は、同じくQURUWAエリアにあるOkazaki Micro Hotel ANGLEの平良涼花がつとめました。

「HQ丁the」にて。まりさん(左)とだいじろうさん(右)に話を伺いました

康生地区が遊び場だった
だいじろうさんの少年時代

——まずは、だいじろうさんの生い立ちから教えてください。

だいじろうさん:QURUWAエリアの北西部、魚町で生まれ育ちました。このあたり一帯、いわゆる「康生地区」をひとつの大きな公園のようにして遊んでいましたね。現在の「図書館交流プラザりぶら」の場所にかつてあった市民プールや伊賀川沿いで遊んだり、当時は映画館がいくつかあったので映画を観に行ったり。振り返ると、康生を駆けずり回っていました(笑)

—— このエリアは、昔からずっと身近な場所だったんですね。

だいじろうさん: 高校時代は、今も籠田公園の近くにあるアパレルのセレクトショップ「TOP JIMMY(トップジミー)」さんでアルバイトをしていました。すぐ近くに「Masayoshi Suzuki Gallery」を構えるギャラリーオーナーの鈴木正義さんのことは、その頃から知っています。

—— 高校卒業後は、どのような進路へ?

だいじろうさん: 服をつくりたい、売りたいという思いから、名古屋ファッション専門学校のファッションビジネス科に進学しました。となりの教室がデザイン科で、そこにパソコン(Mac)が置いてあったんです。当時は友達と、バンドイベントやDJイベントなどを開いていたこともあり、「これを使えばフライヤーをつくれるんじゃないか?」と自主的に触り始めたのが、グラフィックデザインを始めるきっかけでした。

当時を振り返る、だいじろうさん

ゲリラライブとログハウス
康生発のカルチャー

—— 専門学校を卒業した後はすぐにデザインのお仕事に?

だいじろうさん: いえ、最初は市内の古着屋に勤めていたんです。そしたら、そこのオーナーが夜逃げしてしまって、急に働き口がなくなっちゃって(笑)。1998年、当時23歳だったんですが、一緒に働いていた同級生と「このまま一緒にやろうぜ」と、共同でアパレルのお店を立ち上げることにしました。

—— 23歳で!どこにお店を構えたのですか?

だいじろうさん:このあたりの主要な通りである「康生通り」沿いです。100万円を握りしめて、ログハウス屋さんに「これで建ててください!」って直談判しに行ったんです(笑)。そしたら、「お前らおもしろいな。まあ俺がどうにかしてやるわ」って、余った木材を活用して、空き地に小さなログハウスを建ててくれました。

—— 破天荒ですね(笑)。どうして開業場所にこのエリアを選んだのですか?

だいじろうさん:学生の頃からバンドを組んでいて、QURUWAエリアにあるショッピングセンター「岡崎シビコ(以降:シビコ)」前の広場で、同級生とよくゲリラライブをしていたんです。

以前の「あの人のトライ」でも紹介されていた、まち育てセンター・りたの天野裕さんとはその頃からの知り合いです。お互いに切磋琢磨しながらいろんなカルチャーが生まれていく、そんな時代でした。その思い出もあって、お店を開くなら絶対に地元がいいと思っていました。

シビコ前でのライブの様子(提供:だいじろうさん)

—— アパレルから、グラフィックデザインが仕事になっていくきっかけは何だったのですか?

だいじろうさん: 自分でTシャツのデザインをしていたんです。そうしているうちに、「服をつくる」ことよりも「服のグラフィックやビジュアルをデザインする」ことの方が好きだな、と気づいて。

2002年、25歳のとき、シビコ近くへ移転したんです。1階で自分がデザインした服を販売して、2階はレコードショップに。当時は、いろんな人が出入りする溜まり場みたいになっていて、グラフィックデザインの仕事も少しずつ受けるようになっていきました。その後、籠田公園の東側へとふたたび移転をして、個人のデザイン事務所を構えつつギャラリースペースも手がけていました。

籠田公園東側に構えたアトリエ兼ギャラリー。ストリートから生まれたアートを中心に企画展を開き、カルチャーの発信拠点となっていた(提供:だいじろうさん)

ものづくりが身近な幼少期から、
木版画を始めるまで

—— 続いて、まりさんの生い立ちについてもお聞きしたいです。

まりさん:私はQURUWAエリアから車を北に10分ほど走らせたところにある、井田町で生まれ育ちました。「電車通学をしたい」という理由で、高校は隣の安城市に進学したんです。

父がデザインの仕事をしていて、「お父さんみたいになりたい」とずっと思っていました。両親ともに絵が上手で、よく絵を描いてもらっていましたね。

—— 子どもの頃から、ものづくりが身近だったんですね。

まりさん: 高校卒業後は、美術系の大学か専門学校に行きたかったんです。それも「東京に出ないと意味がない!」と思っていたのですが、学費や生活費の工面が難しくて進学は諦めて。

まずはお金を貯めてから上京しようと、お隣の豊田市の編集社でアルバイトを始めたところ、カメラやパソコンの扱い方などを一から教えてもらえる機会に恵まれたんです。「学校に行くよりも、現場で実践的に学ぶ方が早い」と感じ、2010年、25歳くらいまではいろんなアルバイトを掛け持ちしていました。

—— 正社員として就職するのではなく、あえてその働き方を選ばれたのですね。

まりさん: 当時はバンド活動も続けたいと思っていたので、アルバイトを選んでいました。お給料の安定よりも、自分のやりたいことに時間やエネルギーを使える環境の方がずっと大事だと感じていたので、市内の骨董品店や某食品会社のデザイン室でもバイトをしていました。

—— まりさんは、現在の木版画の活動へとつながるきっかけは何だったのでしょうか?

まりさん:バイトを掛け持ちしていた2010年頃、世の中で「消しゴムはんこ」がブームになったのをきっかけに、絵を描くことの延長として消しゴムはんこをつくり始めました。そこから自分でホームページを立ち上げて、ネット販売もスタートして。イベント出店もするようになって、少しずつ活動の幅を広げていきました。

——消しゴムはんこが、木版画につながったのですか?

まりさん:制作を続けていくうちに「もっと大きなものを彫ってみたい」という気持ちが湧いてきて、2012年頃に木版画を始めました。そこから個展を開いて、作家としての活動を本格的に始めました。

木版画を制作するまりさん(提供:まりさん)

13倉庫での出来事

—— それぞれ活動を続けていたおふたりが出会ったきっかけは?

だいじろうさん: 岡崎でギャラリーをやっていた頃、安城の先輩から「子ども服ブランドを立ち上げるからデザイナーとして正社員で入ってほしい」と誘われたんです。結婚したばかりで身を固めなきゃと思っていた時期でもあり、入社を決めました。その会社の事務所兼アトリエとして選んだ場所が、安城のデザイン事務所「Switch」の古武一貴さんが立ち上げた、のちの「13倉庫」になる場所でした。13倉庫は、今も安城にあるシェアアトリエで、現在はアトリエやカフェとして営業しています。

まりさん: 私は、自宅では大きな版画が彫れなくて、広い作業場所を探していたタイミングで、13倉庫の一角を使わないかと声をかけてもらって。そこでだいじろうさんと知り合いました。

だいじろうさん: その後、僕は会社から独立してフリーに戻ったんですが、そのまま13倉庫の中に自分の事務所を構えて拠点にしていて。

まりさん: そこから、2013〜2014年頃、古武さんとだいじろうさん、そして私の3人で「TEST(テスト)」というユニットを組んだんです。フェスに出店したり展示をしたりと、一緒にいろんな表現活動をしていました。

左からだいじろうさん、まりさん、古武さん(提供:だいじろうさん)

もう一度、康生へ
制作とまちが地続きになる場所を求めて

—— ふたたび、この康生で一緒に場所を持つことになった経緯を教えてください。

まりさん: 2021年頃から「制作しながらリアルタイムで展示ができて、制作風景も見てもらえる場所」を探していたんです。QURUWAエリアは昔からよく遊んでいた場所で、近くに友人のお店もあるのでこのあたりにいい物件があるといいなと思っていました。

だいじろうさん: 僕は50歳を迎えて、仕事のあり方を見つめ直すタイミングでした。昔ギャラリーをやっていた頃は毎日のようにおもしろい人たちが出入りしていたのに、仕事に没頭するうちにどんどん「ビジネス感」が強くなっていってしまった。もう一度人と自然に関われる場所、そして思い入れのある康生に戻りたいなと思ったんです。

一人ではなく、誰かの知り合いが混ざり合ったらおもしろい化学反応が起きるんじゃないかと思い、複数人でアトリエをシェアする形を考えました。それで、2025年の夏頃にまりちゃんに声をかけたんです。

「一人でやると世界が狭くなってしまう。だからこそ、複数人で場所を持った方がおもしろい」と話す、だいじろうさん

「HQ丁the」のはじまり

—— この建物とは、どのように出会ったのですか?

だいじろうさん:2025年の春頃に、「studio36 一級建築士事務所」が不定期で開催しているバー企画「バーサンロク」で、天野裕さんと飲んでいたんです。その席で「いい物件があったら教えてほしい」と話したら、「そういえば、あそこってどうなんだろう?」と話が挙がったのがこの物件で、その足で一緒に見に来ました。

子どもの頃から前を通るたびに気になっていた建物だったんですが、天野さんがその場ですぐに奥のスペースを借りている方に電話を繋いでくれて。そこからは本当にトントン拍子で話が進んでいきました。知り合いを介してスペースを借りることになったので、一般的な不動産仲介を通すよりも、ずっとお値打ちな賃料でお借りすることができています。

—— 「HQ丁the(ハクチョウザ)」という名前には、どんな想いが込められているのですか?

だいじろうさん:普段のデザインの仕事って、「誰が見てもわかりやすいものを」と求められることが多くて、それがちょっとしたストレスでもあったんです。だからこそ、自分たちの場所の名前くらいは、パッと見では何屋かわからない、あえて難解なものにしたくて。

でも読み方が分かると「あ、ハクチョウザ(HQ丁the)か!」とスッと腑に落ちる。そんなふうに思ってもらえたら。

—— 内装はどのように手を入れられたのですか?

まりさん:もともとは化粧品屋さんだった建物で、当時の重厚で素敵なつくり付けの棚があったのですが、思い切って棚を取り払いました。

だいじろうさんの同級生の職人さんたちに力を借りつつ、自分たちで手を動かせる部分はDIYで整えていって。2025年の秋から工事を始めて12月には作業ができるようになり、2026年3月に私の個展「DREAM」の開催に合わせて何となくオープンを迎えました(笑)

HQ丁the正面の看板

まちにゆっくりと馴染む

—— 2026年3月に個展を開催されて、手応えはいかがでしたか?

まりさん: これまで版画の活動を通して出会ってきた人たちとは、まったく違う層の方々が見に来てくださったんです。近所で暮らしている方やお店を開いている方たちがふらりと入ってきてくれて。「こういう人たちが興味を持ってくれるんだ、ジャンルの垣根を越えられるんだ」と、まちの中に開かれた場所を持てた実感が湧いてすごく嬉しかったですね。

だいじろうさん: 僕はなんだか懐かしい感覚でした。若い頃にギャラリーをやっていた頃の熱量を思い出しつつ、今の年齢だからこその落ち着いた視線で、長期的にゆっくりと時間をかけてまちに馴染んでいけたらいいなとあらためて思いました。

—— 長年この場所を見つめてこられたおふたりから見て、いまの「まち」に対してどんなことを感じていますか?

だいじろうさん: どこの都市もそうですが、たまに「少し無理をしてまちをつくろうとしているんじゃないか」と感じることがあって。単発のイベントで派手に花火を打ち上げ続けても、なかなか根付きづらいと思うんです。

突拍子もないことを仕掛けるのではなく、とある人がそこにいて、そこから周りの空気が自然と変わっていくぐらいがいいのかなと、今はそんなふうに思っています。「日常」にこそ、ヒントがあるのかもしれない。

子どもの頃からこのエリアを見ているけれど、やっぱり入れ替わりは激しくて、いろんな時代があるんですよね。僕自身、自分がカルチャーを発信して、その輪が大きくなっていったり小さくなっていったりするのを経験してきました。だからこそ、長期的な視点を持つことが大事なんじゃないかなと思います。

まりさん: 私はまちをどうこうしたいというよりは、心地いい人たちが近くにいて、ここでいかに淡々とつくり続けられるかが一番大切だと思っていて。自分から無理に仕掛けるのではなく、ただここで制作を続けていくことが私なりの向き合い方だと思っています。

「周りに気の合う人たちがいて、ただここで手を動かしていられたら」と語る、まりさん

「ここに来たら何かあるかも」
アナログな会話が生まれる場所へ

—— これから「HQ丁the」を、どんな場所に育てていきたいですか?

まりさん: 今はまだちょっと、扉を叩きにくい雰囲気があると思うんです。だから、もう少し気軽にふらっと入ってこられる場所にしたいですね。

ただ、ここで制作しながらお客さんが来て、その接客もして……。というのは、正直どこまで自分にできるかわからない部分もあって。でも、本当に長い目で見たときには、そういう開かれた場所にしていく方がいいんだろうなって思っています。「ここに来たら何かあるかも」みたいな感じで、ふらっと来てもらえたらいいですよね。

—— 何気ない出会いや会話が、新しいきっかけになるような場所ですね。

まりさん: そうですね。「なにそれ、知らなかった!」という発見って、ネットで検索しても出会えるものではないじゃないですか。でも、友達でも家族でもない、ふだん関わらないような人と話しているときに、そういうものがポンっと入ってきたりする。そういう発見って、すごくおもしろいと思うんです。

だいじろうさん: まさにそうで、僕自身もそういう出会いを求めているんだと思います。ビジネスじゃない感じで、人と直接会って話すことを。

今の時代、AIやネットで検索すれば何でも情報が出てくるけれど、やっぱり人と直接会うというアナログなことがすごく重要なんじゃないかなって。単なるお店や作業場という「箱」ではなく、「あの人がいるから行ってみよう」と思われるような場所にしていきたいですね。

—— まちの日常に溶け込みながら、どんな場所になっていくのかとても楽しみです。今日はおふたりともありがとうございました。

だいじろうさん・まりさん: ありがとうございました。

ひろなかだいじろう

愛知県岡崎市生まれ。20代(1998年)でアパレルショップを立ち上げ、アートや音楽など多様なカルチャーに触れる中で、自然とグラフィックデザインの道へ。自身のオリジナルブランドを手がけたことをきっかけに、デザインの表現領域を広げていく。その後はアート活動やギャラリーの運営にも携わりながら、グラフィックデザイナーとしての活動を本格化。カルチャーとクリエイティブの交差点に立ち、独自の視点で表現を続けている。

web:https://www.hironakadaijirou.com/
Instagram:https://www.instagram.com/daijirou2030/

佐々木まり

1983年岡崎で生まれる。2010年から木版画をはじめ、各地で個展を開催している。

Instagram:https://www.instagram.com/mari____sasaki/

<HQ丁the>

Instagram:https://www.instagram.com/hq_cho_the/

撮影(特記なき場合):Okazaki Micro Hotel ANGLE
取材・執筆:平良涼花

平良涼花 / Okazaki Micro Hotel ANGLE マネージャー
2002年生まれ、岡崎市出身。国内を転々とする多拠点生活を経て、地元岡崎市に根付く事業に取り組むため2021年からアングルスタッフに。アングルのコンセプトである「暮らし感光(観光)」をテーマに、イベント企画・運営や広報などを担う。

公開日:2026.10.14