あの人のトライ:乙川川守舎 岩ヶ谷充さん
- 事業を始める
愛知県岡崎市の「変わるまちなか」QURUWAエリアで、日々トライを続ける方々のお話を聞いていくシリーズ「あの人のトライ」。今回登場いただいたのは、QURUWAエリアを東西に流れる一級河川「乙川(おとがわ)」を舞台に、水辺空間の活用や流域まちづくりの活動に取り組む岩ヶ谷充さんです。
岩ヶ谷さんは、静岡県焼津市生まれ。愛知産業大学への進学を機に岡崎に移り、建築を学びました。卒業後は名古屋の設計事務所、東京のまちづくりNPO勤務等を経て、2017年にふたたび岡崎へ。以前のあの人のトライでもご紹介した、市民グループ「ONE RIVER」を2021年に立ち上げ、2026年にはONE RIVERの運営法人となる「株式会社乙川川守舎(かわもりしゃ)」を設立しました。
岩ヶ谷さんが乙川と関わるようになった経緯や法人設立という新たな一歩を踏み出した理由、そして、どうしてそこまで川に魅せられ続けているのか、お話を伺いました。
聞き手は、同じくQURUWAエリアにある「Okazaki Micro Hotel ANGLE」の平良涼花がつとめました。

焼津から岡崎へ
まちと出会うまで
——岩ヶ谷さん、今日はよろしくお願いします。まずは生い立ちから教えてください。
1985年に静岡県焼津市で生まれました。幼少期はよく外で遊んでいましたね。高校までは地元で過ごし、大学進学を機に岡崎に移りました。
——大学では、なにを学ばれていたのですか?
愛知産業大学で、建築を学んでいました。もともと家を建てることに興味があって、はじめは大工になりたかったんです。でも、高校生の頃に「家を設計する仕事」があるということを知って。建築のデザインっていいな、素敵だなと思って進路を決めました。
—— そこから、岡崎のまちづくりに関わるようになったのでしょうか?
大学3年生のときに、建築単体だけでなく、まち全体のデザインを考える「都市計画・まちづくり」のゼミに配属されたことがきっかけでした。東岡崎駅周辺や康生地区が設計課題の「対象敷地」として出されて、「ここで何ができるか」を考えるんです。
自分たちが考えた提案を、実際にまちの方たちに総評してもらう。それが、岡崎のまちとの初めての関わりでした。

初めての挫折と
フリーター生活
—— 卒業後はどのような進路を歩まれたのですか?
もともとインターンやアルバイトでお世話になっていた、名古屋の設計事務所に就職しました。でも、1年足らずで退職してしまいました。社会に出て働くということが、どういうことかを理解できていなかったんです。働くなかで「自分のやりたかったなのだろうか」という疑問も湧いてきてしまって。
社会のレールから外れてしまったように感じて、いま思うと人生の中での大きな挫折でした。メンタルもすっかり打ち砕かれて。でも、生きていくためにはお金が必要だったので、大手家具チェーン店でのアルバイトをしてなんとか生活していました。
—— フリーター時代があったのですね。
家具をめちゃくちゃ売っていました(笑)。
そのときに思ったことは、自分は人と話すことが好きなんだなってことですかね。接客を通して、心が少しずつ回復していくのを感じていました。もしかすると、設計事務所で黙々と図面を引く作業は、性に合っていなかったのかもしれません。

まちづくりを仕事に
——フリーターから転身するきっかけは何だったのでしょうか。
アルバイトと並行して、大学のゼミの先生のお手伝いをしていました。ある日先生から、「東京のとあるNPOで求人が出ている。ふらふらしているんだったらやってみないか?」と教えてくださって。それが、東京のまちづくりNPO「都市住宅とまちづくり研究会(としまち研)」でした。
ダメ元で受けてみたところ、正社員として採用していただけることになり、29歳のときに東京へ引っ越すことになりました。
—— 働く中で印象に残っていることはありますか。
それまで「まちづくり」という学問は学んできましたが、それを仕事にしたことはありませんでした。
としまち研は、行政からの補助金に頼って事業を成り立たせるのではなく、自分たちで事業を起こして自立している、限りなく会社組織に近いNPOです。「まちづくりはお金にならない」と言われることが多かった時代の中で、「仕事としてまちづくりが成り立つ世界がある」ことを知れたのは、とても衝撃でした。
もう一度、岡崎へ
—— ふたたび、岡崎に戻ることになった理由はなんですか?
「QURUWAプロジェクト(当時:おとがわプロジェクト)」のチラシをSNSで見かけたことでした。チラシのデザインが素敵で目を引くものだったのもありますが、自分が学生時代に制作に関わった都市模型が使用されていたことも印象的でしたね。

学生時代、僕たちの提案に総評をくれていた「岡崎まち育てセンター・りた(以降:りた)」の天野裕さんや、りたの共同創業者である三矢勝司さんたちとSNSで繋がっていたので、まちづくりの動向をなんとなく見てはいました。
とてもおもしろそうなプロジェクトが始まる予兆を感じましたし、名だたる建築家の方々が関わられていることも知って、「岡崎は今、どうなっているんだ!?」と、びっくりして。
—— 離れている間に、岡崎が大きく動き出していたんですね。
そうなんです。そんなとき、天野さんの「乙川リバーフロントのまちづくりに関わるスタッフを募集します」という投稿を通勤時の電車の中で見ました。
「これは自分が関わるしかない……!!」と直感的に思って、投稿を見た3分後には天野さんに「やらせてください」とメッセージを送っていましたね。
そうして、りたに採用していただき、2017年の5月にふたたび岡崎へ。乙川の日常を豊かにしていく社会実験「おとがワ!ンダーランド」のプロジェクト担当者を任されることになりました。

おとがワ!ンダーランド
3年間の苦悩と転換
——おとがワ!ンダーランドとはなんですか?
ルールや規制が多く自由に使える場所ではなかった乙川河川敷(公共空間)を規制緩和し、開放することで民間事業者や市民団体が場所を活用しながら、新しい風景や収益を上げられるようにする仕組みをつくろうという試みです。
ただ、最初の3年間は本当に苦しかったですね。集客も思うようにいかなったですし、それに伴いプロジェクトに関わっていただく方々から厳しい声をいただくこともありました。
——最初から順調だったわけではないんですね。
自分は給料をもらっているのに、事業者は生活をかけている。そのギャップにすごく苦しみました。だから、自分ができることとして、プロジェクトに関わってくれている人に徹底的に寄り添おうと決めたんです。
各事業者のプログラムに、企画の段階から一緒に入って。現場づくりも、撮影も、チラシづくりも、情報発信も、振り返りも。当時は全部一緒にやっていましたね。
そうやってがむしゃらに動き続けていくうちに、事業者のみなさんが少しずつ心を開いてくれるようになりました。先日、乙川で開催した「OKAZAKI RIVERSIDE MARATHON」も、2019年から一緒に企画をつくりあげていって生まれたプログラムのひとつです。

ONE RIVERの立ち上げ
——そして2021年、おとがワ!ンダーランドが満期を迎えますよね。
おとがワ!ンダーランドの中で、自主的に続けてきた活動があったんです。「川びらき」「川あそび」「川ぐらし」といった川を舞台にしたイベント・プログラムや、河川敷でのキャンプ事業「Let it Camp」、川辺のゴミを拾う「おとがわリバークリーン」など。
プロジェクトが終了しても、それらを続けていくための受け皿が必要だった。川を通じて培った学びや人との繋がりを続けたいと思って、2021年に市民グループ「ONE RIVER」を有志とともに立ち上げました。
—— 設立して、いかがでしたか?
ありがたいことに、団体発足2期目から、少しずつ委託事業が増えていきました。そうなると、団体として責任の所在が不透明になってくる。ONE RIVERは30〜40人くらいの方々がゆるやかに関わっているのですが、企業と契約したときにその全員に責任が及ぶのはちょっと違うなとも思っていて。そういう点で、団体運営をサポートするための法人組織が必要だと感じていました。

「乙川川守舎」設立へ
——そして2026年に、会社を設立されたのですね。
僕自身の迷いもあり法人化の事務手続きが後回しになっていたので、僕が30代のうちに設立しようと決めました。調整を進めていったら、設立日が5月29日に。僕の誕生日が5月28日なので、ギリギリ30代には間に合わず、40歳での設立になってしまいました(笑)。
——ONE RIVERをそのまま法人化するという選択肢はあったのですか?
みんなが得意なことを持ち寄りながら、地域の課題に向き合っていく。そのゆるやかなONE RIVERの空気感がすごく好きで。それを生かしながら、持続性も持たせる仕組みをつくれないかと、ずっと模索していました。
法人化すると、どうしても組織特有の縛りが生じて自由さが失われてしまう気がして。なので、ONE RIVERとは別で法人を立てる方法をとりました。
——「川守舎」という社名は、どのように決めたんですか?
「川守」とは、橋がなかった時代に、船で人や荷物を対岸へ渡していた船頭さんのような役割を生業にしていた人のことを指すと聞いたことがありました。川を介して人と人を繋ぐ、素敵な職能だなと思って。
今は橋があるから、その仕事そのものはない。でも、現代版の川守として、人と川を繋いだり、川を軸に人とまちを、人と社会を繋いでいく。そういうことができたらいいなと思って、この名前にしました。

これから、川でやりたいこと
——これから取り組みたいことを教えてください。
大きく3つあります。
1つ目は、ONE RIVERというコミュニティを大切に育み続けること。いつか「ONE RIVER」が団体の名前ではなく、暮らし方や生き方そのものになっていくといいなと思っています。ゴミを拾うことも、人との繋がりを大切にするライフスタイルも。「ああ、ONE RIVERらしいね」と言われるような、文化として根付いていってほしいですね。
一方で、外から見たときに「ONE RIVERの人たち」と内輪的な活動に見られてしまうこともあって。常に開かれているんだよということをどう伝えていくかは、意識しているところでもあり、課題でもあります。

2つ目は、自然体験プログラムの拡充です。最近、岡崎の自然に触れる体験を提供する機会が増えてきました。市内の中山間エリアにある下山地区でのお米づくり「となりの田んぼ」や、山田農園さんとの有機農業の体験型スクール「畑のつち曜日」、ぶどう農園「マルタ園」での農作業など。身体感覚を取り戻していくような体験プログラムを、今後もいろんなパートナーと一緒に増やしていきたいです。

3つ目は、川の風景を変えることです。川沿いの家々が川に向かって開かれていて、SUPが立てかけてあって、川を眺めながらご飯が食べられる場所がある。そんな、川を軸にまちが変わっていく風景をつくりたい。
建築出身だから、空間づくりへの思いはやっぱり諦めていない。これは、おとがワ!ンダーランドの頃からの積み残した課題でもあるので、時間をかけてでもいつか実現したいですね。
なぜそこまで川に魅せられているのか
——最後に、岩ヶ谷さんは、どうしてそこまで川に魅せられているんですか?
正直、岡崎に戻ってきた頃は川への思い入れはそこまでなかったです。たまたま任された仕事が「川」だっただけ(笑)。
実は乙川の水源は、岡崎市内にあるんです。川と関わるようになってから、川の上流・下流を往来する鮎の存在を知ったり、山の暮らしや産業のことを知ったり、地域の文化を掘り起こしていくうちに、川って、まちの大切な資源を繋いでいく存在なんだと思うようになりました。
川を介してまちを掘っていく感覚が、いまはすごく楽しい。どこのまちに行っても、まず川を見てしまうんです。この川からどんな産業が生まれてきたんだろう、って。歴史的な側面も、文化的な側面も、産業的な側面も、人の愛着という視点からも。川を辿っていくと、それまで断片的だった情報が、一本の線で繋がっていく感覚があって。その感覚がとても愛おしいんですよね。

——川への思いが、そのまま人への思いにも繋がっているようですね。
そうかもしれません。やっぱり人が好きだから、人の暮らしを繋いできた川にこんなに魅せられているのかもしれません。
雨が降ったら、中山間地域に暮らす人たちのことが浮かんで「大丈夫かな?」って心配になるような。そういう顔が見える関係性やいろんなことが自分ごとになる暮らしが、川に沿ってこれからも増えていくといいなと思っています。

岩ヶ谷充
1985年静岡県焼津市生まれ。愛知産業大学で建築を学び、大学院では都市計画やまちづくりを研究。名古屋の設計事務所、東京のまちづくりNPO勤務を経て、2017年に岡崎へ帰還。NPO法人岡崎まち育てセンター・りたで「おとがワ!ンダーランド」のプロジェクトを担当する。2021年に市民グループ「ONE RIVER」を立ち上げ、2026年にはONE RIVERの運営法人となる株式会社乙川川守舎を設立。ONE RIVER事務局長/プロジェクトマネージャー、株式会社乙川川守舎 代表取締役。
<ONE RIVER>
Instagram:https://www.instagram.com/oneriver_otogawa/
HP:https://one-river.jp/
撮影(特記なき場合):Okazaki Micro Hotel ANGLE
取材・執筆:平良涼花
平良涼花 / Okazaki Micro Hotel ANGLE マネージャー
2002年生まれ、岡崎市出身。国内を転々とする多拠点生活を経て、地元岡崎市に根付く事業に取り組むため2021年からアングルスタッフに。アングルのコンセプトである「暮らし感光(観光)」をテーマに、イベント企画・運営や広報などを担う。
公開日:2026.06.04

