岡崎の変わるまちなか「QURUWA」と何する?

あの人のトライ:キノエノ*farm house 天野裕さん

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愛知県岡崎市の「変わるまちなか」QURUWAエリアで、日々トライを続ける方々のお話を聞いていくシリーズ「あの人のトライ」。今回登場いただくのは、梅園町でシェアハウス「キノエノ*farm house(以降:キノエノ)」を営む、天野裕さんです。

以前のあの人のトライでもご紹介したとおり、天野さんは「岡崎まち育てセンター・りた(以降:りた)」にて事業企画マネージャーを務めており、「QURUWA」という言葉が生まれる前から、この地でまちづくりの活動を地道に続けてきた第一人者です。

そんな天野さんが、新たなトライとして、2024年9月に個人のプロジェクトとしてキノエノをオープン。まちとの関わり方の選択肢として「暮らす」を提案したいと考え、購入した古民家を改装してシェアハウスを始めました。

キノエノは籠田公園から徒歩1分の好立地ですが、狭い路地を通った先の、奥まったところにあります。どうして、この場所を選んだのでしょうか? 天野さんが愛してやまない「路地」への思いやこれまでの経緯、これからのまちのことについてお話を伺いました。

聞き手は、同じくQURUWAエリアにある「Okazaki Micro Hotel ANGLE(以降:アングル)」の平良涼花がつとめました。

メキシコでの気づきから始まった「路地」への愛

—— 天野さん、こんにちは。おじゃまします。今日はよろしくお願いします。

どうぞどうぞ。こちらこそよろしくお願いします。

ウェルカムドリンクを用意してくれる天野さん

—— 今日は、キノエノについてお話を伺いに来ました。でも実は、来る途中で迷っちゃって(笑)

あはは、よく言われます。キノエノはわかりづらい場所にありますから。

このエリアは、1945年の「岡崎空襲」の被害が少なかったんです。康生通や籠田公園のあたりは焼き尽くされてしまった一方で、ここらは空襲を免れたので区画整理がおこなわれなかった。

狭い路地がたくさんあって民家が密集しているのは、計画的にできたものではなくて、「残っちゃった」ものなんですよね。

——残っちゃった、と?

幅4メートル未満の道路に面した建物は、現状の法律では建て替えができない。だから、「残っちゃった」。ある程度の幅があると、自分の土地を削って道路を広げれば建て替えが認められることもありますが、この辺りの道は狭すぎて建て替えができないんです。

狭い路地が多いエリアは、どちらかというと負の側面が多いんです。消防車が入れないので火災時は消化活動が難航しますし、古い建物が密集しているから燃え広がってしまう可能性も高い。

さらには自家用車も停められないとなると、子育て世代にとってとても不便。若い世代が外に出てしまって高齢化も進んでしまうと、空き家が増えたり有事の際の助け合いが難しくなったり、リスクだらけなんです。

キノエノに続く路地(提供:天野さん)

——リスクが高いといわれているエリアで、どうして物件を購入したんですか?

僕、路地が好きなんです。

ここに限らず、路地が多いエリアの不動産情報をよく見ていました。

路地に興味を持ったきっかけは、大学院時代にメキシコの研究をしていたときのことでした。メキシコは1985年に地震があって大きな被害を受けたんです。政府が復興住宅をつくって、被災者に対して安く入居できる家を用意したのですが、一部の人たちはそれを拒否した。

なぜかというと、彼らはもともと大きな建物を複数の家族でシェアして、「パティオ」という中庭でいろんなひとが交わるような住まい方をしていたんです。そこで女性は洗濯をしたり、子どもたちは遊んだり、持ちつ持たれつで支え合うような暮らしをしていました。

しかし政府が建てた復興住宅はマンションタイプで、入り口がバラバラになってしまう。彼らはこれまでのような暮らしができなくなってしまうことを危惧して、自分たちで資金調達をして、セルフビルドで家をつくりました。

1999年頃、実際に現地に足を運んで仲良く暮らしているのを見て、パティオのような場所がすごく大事だということを学びました。それを日本で置き換えたらなにになるのかなと考えて「路地だ」という結論に行き着いたんです。

セルフビルドで建設された集合住宅のパティオ(提供:天野さん)
セルフビルドの風景(写真:Masato Dohi)

松本町の実践で確信した、路地のおもしろさ

——そのメキシコでの気づきが、松本町での取り組みに活かされたということですね。

そうです。以前のあの人のトライでもお話しましたが、2011年からりたで取り組んだ「松本町」の活性化で、実際に路地の魅力と可能性を体感することができました。

そのプロジェクトでは、路地や空き家が多い松本町・松應寺横丁で、地域のニーズや課題に対応して少しずつ提案を形にしていくことで、空き家を活用するお店が増え、徐々に盛り上がって最終的には自走するまちになっていったんです。

当時、僕は松應寺横丁にある古民家に移住したんですが、路地で誰かとすれ違うとき、相手と距離が近いから必ず挨拶するし、車が通らないから誰かが椅子を出しておしゃべりし始めたり、子どもたちが家の目の前で遊んでいたり、そういうのが自然発生する路地の景色がやっぱりすごくいいなと思って。

松應寺横丁の様子

その経験から、路地の多いエリアはずっと注目していて、2023年にこの物件が売りに出されているのを見つけ、いま住んでいるマンションから「引越したいな」と思ったのが始まりでした。

—— シェアハウスを想定していたわけではなかったんですね。

そうです。でも、引越しは家族から同意が得られなくて。やっぱり車が入れないというのがネックでした。最後の一手として、子どもたちが「ここに住みたい!」となれば住めるかもしれないと思い、家族みんなで内見に来たんですが……。

お兄ちゃんが「ここ、怖い!」と言って、一歩も家に入れなくて(笑)。当時は前に住んでいた方の家具とかも残っていて、ちょっと暗くて不気味な雰囲気だったから。それで、移住プランはなしになりました。

——それでも、購入をご決断されたんですね。

僕にとって、これ以上ない好条件だったんです。立地はもちろん、7町・広域連合会事務局の筒井さんや地域包括支援センターの方が総代さんを紹介してくださったおかげで関係性もできていたし、金額的にも相場からするとすごくお値打ちだった。この機会を逃すというマイナスの方が大きいなと思って、決意しました。

キノエノ外観

プレイヤーと一緒の土俵に立つために

—— 資金はどうされたんですか?

初めは「りたで買えないかな?」と考えたんですが組織の性格上むずかしく、個人での取得を悩んでるときにアングルオーナーの飯田くんに「みんなお金借りてやってますよ!」って言われて、融資を受けて購入することに踏み切れました。

これはじぶんにとって重要なチャレンジだったんです。これまでずっとまちに関わってきましたが、リスクを背負っていない状態で地域のプレイヤーたちに「やろう!」と言っているのは、少し後ろめたさがありました。だからこそ、じぶんでお金を借りて場をつくることで、みんなと一緒の土俵に立てるのではないかと考え「やるしかない」と思えました。

不動産が担保になるので、連帯保証人なしの不動産担保で借りられたのもよかったですね。

——ちなみに借入はどこでされたんですか?

へきしんのアパートローンです。サラリーマンの資産運用等で購入するアパートなどに摘要される融資プログラムですね。

—— 少し事業のところで踏み込んで、お聞かせください。改修費用はどれくらいかかって、期間はどれくらいだったんですか? そして、投資したものを回収する計画はどれくらいなんですか?

改修費は諸経費込みで800万円ほど。実質工事は2.5か月ほどですが、改修計画は5か月ほどかかり、その前の総代さんとの関係づくりやリサーチ、エリアビジョンの構想は事業リノスク含め1年くらいかけています。

投資回収は、当初は5年を想定してましたが、なんだかんだ10年以内に回収できればというつもりでいます。事業は成り立たないといけないけど、大きな利益を得るという目的ではないので、回収を急ぐことよりもしっかり根付いて地域に根付いていければと思っています。

シェアハウスを案内してくれる天野さん

——ところで、なぜシェアハウスにしたんですか?

第一にここは住宅地なので、「住む」をベースにしたいとはずっと考えていました。

QURUWAエリアはいいお店もたくさんあるし、公共空間が整備されているので、通うよりも住んだ方が楽しいと思うんですよ。「このまちに暮らす」選択肢を提案できたらいいなと思い、まずはシェアハウスを選びました。

僕が10〜30代の頃、まちの先輩たちに「なにかをしてもらった」というよりか、「自由にできるフィールドを用意してくれていた」という感覚があって。

まちは、若い世代が増えることで次のおもしろいことが生まれていくので、もうすぐ50代になる僕は「場所」をつくって、そこに住む住人さんや関わる人がやりたいことをやれる環境を用意できたらいいなとも思っていました。

シビコ西側で開催された音楽ライブでの天野さん(天野さん提供)

—— かなり古い古民家ですよね。改装などはどうやって進めたんですか?

設計は、studio36一級建築士事務所に相談していました。代表の畑さんに「こんなことやりたい」「これがほしい」ってたくさん言って、「それはやりすぎですよ」って何度も止められました(笑)

施工上の細かいことは、つげ建築工房のつげさんと話し合いながら進めました。工事は、「DIYワークデイ」を設けてスノーピークビジネスソリューションズの有志の方はじめ、事業リノベーションスクールの参加事業者の方たちに協力してもらいながら進めました。

改装前の建物(提供:天野さん)
ワークデイの様子(提供:天野さん)

松應寺横丁で住んでいた古民家もセルフリノベをしたんですが、断熱のことをなにも考えていなかったから当時はもう寒いし暑いしで大変だった。古い家こそ断熱はしっかり取り組むべきだと学んで、今回は念入りに対策しました。

あとは、ウッドデッキやフローリング用に小原木材さんの岡崎産の木材を調達したのもこだわりです。

日当たりのいいウッドデッキ(提供:天野さん)

地域に馴染むシェアハウス運営

たくさんの方の力を借りて改装が終了。リビング・ダイニングなどの共有スペースに加え、個室3部屋のシェアハウスが完成しました。岡崎城の甲(きのえ・現在の東)の方角に位置していることから「キノエノ」と名付け、2024年9月に入居募集を開始しました。

リビングダイニング(提供:天野さん)
居室A(提供:天野さん)

——実際に始めてみてどうでしたか?

キノエノのコンセプトに共感する方が住人になってくれたことがとても幸運でした。その方は、実はシェアハウスの先輩にあたる「コモンカシワ」の柏木さんから、「うちに問い合わせがあったけど満室なんでよかったら紹介します」と斡旋してもらったのがきっかけで入居いただきました。さらに、キノエノでの生活を記録するInstagramのアカウントで情報発信もしてくれて。宣伝に手が回っていなかったのでありがたかったですね。

近所の方たちはシェアハウスに聞き馴染みがない方も多く、「ひとつ屋根の下で男女が一緒に暮らすってどういうこと?」と疑問に思う方もいらっしゃいました。でも、住人の顔と名前が認知されたりとか、近くの神社の清掃に住人と一緒に参加するようになったりして、「こういう人が居るところなのね」というのがわかってもらえて、ちょっとずつ馴染んでいったように感じます。

りたの仕事として、月に1回、総代さんや近所の地域福祉センターさんと一緒にキノエノでご近所さんをお招きして「茶話会」をやっています。その際に庭の畑で採れた野菜をおすそ分けしたり、近所の方と交流する機会を設けています。入居者さんが採れたての野菜を「ご自由にどうぞ」と軒先に出したら、夕方にお礼のお手紙が入っていたこともあって、畑は地域と接点をつくるコミュニケーションツールになっていますね。

バジルを収穫する天野さん

——先ほどお話されていた、火事のリスクは実際どうですか?

消防署の方に確認したところ、消防車は入れないけどポンプが届くから消火活動は可能だそうです。

何より火を出さないことが大切なので、茶話会で消防本部の方にレクチャーしてもらったり、もともとご近所同士で声をかけあったりもしてて、地域でできることはしていきたいなと。

こういった路地に面していて建て替えできない古民家は岡崎だけで1,000軒ほどあります。それらを建て替えができないからといってそのままにしておくよりも、路地にも入れる小型消防車をつくった方が早いような気もしていますが……。

——運営していく上での課題はありますか?

手が回っていないところがたくさんあることですかね。

外にあるガレージも、アトリエや工房に向いた場所なので、なにか新しいことを始める拠点として機能させたいなと思っているんですが、意外と1年はあっという間に過ぎてしまって、まだ半分も使い切れていません。

ここでチャレンジしてみたい! という方を見つけて、一緒に取り組んでいくことが理想です。

——今後の展望として、考えていることはありますか?

周りに空き家が多いので、ここ一軒だけではなくエリア全体を見ていきたいですね。

すぐそこの空き家は、元々ブロンズ像作家のアトリエ兼自宅でした。そうした場所の履歴を大切にしつつ、アーティストさんや作家さんに使ってもらえるとおもしろいんじゃないかなと地権者の方と話しています。

ここの表通りにはかつて石屋がたくさんあって、戦国時代まで遡る岡崎の石産業の原点でもあります。ここ2〜3年で石屋さんの工場跡が相次いで解体されてしまっているので、石の町のアイデンティティやものづくりのまちであることも残していきたいなと考えています。

石屋が多かったことが残る通り名

路地的空間をもっと計画的に

———路地に対してはどうですか?

「たまたま残っちゃった路地」ではなくて、計画的に路地のような空間をつくっていくことがしたいです。路地は、今はもはや絶滅危惧種のようになってしまったけれど、これからは「車が通れない」ことの方が大事だと思うんです。

車のためのまちではなく、人のためのまちにしたい。

例えばエコビレッジみたいなイメージで、建物と建物の間を仕切らず、お隣さんと一緒に畑を始めたり、子どもが遊べるブランコを置いたりとか、そういうことができたら楽しいですよね。

路地ってご近所同士で良い距離感を保ちながら暮らすための空間装置になってると思っていて。

路地が減っていってしまうと、「路地で暮らすのもいいんじゃない?」と伝えることもできなくなってしまう。だから、シェアハウスで路地暮らしを体験して共感してもらう人を増やしつつ、ご近所さんたちと顔の見える関係を築きながら「路地っていいですよね」と、ちょっとずつにじませていきたいです。

——路地の可能性にとてもわくわくしてきました。今日はありがとうございました!

ありがとうございました。

天野裕

キノエノ*farm house 大家
岡崎まち育てセンター・りた 事業企画マネージャー
博士(工学)

1976年、岡崎生まれ。二児の父。東京10年、メキシコ3年を経て、岡崎にUターン。路地、水辺、銭湯、昔ながらの喫茶店など、絶滅が危惧される暮らしの舞台の継承をテーマに、松應寺横丁、乙川、QURUWAのまちづくり等に携わる。

<シェアハウス キノエノ>
Instagram:https://www.instagram.com/kinoeno.okazaki/


取材・執筆・撮影(特記なき場合):平良涼花(Okazaki Micro Hotel ANGLE)

平良涼花 / Okazaki Micro Hotel ANGLE マネージャー

2002年生まれ、岡崎市出身。国内を転々とする多拠点生活を経て、地元岡崎市に根付く事業に取り組むため2021年からアングルスタッフに。アングルのコンセプトである「暮らし感光(観光)」をテーマに、イベント企画・運営や広報などを担う。

公開日:2025.10.07