岡崎の変わるまちなか「QURUWA」と何する?

あの人のトライ:美容室ie 岡田志野さん

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QURUWAで日々トライを続ける方々のお話を聞いていくシリーズ「あの人のトライ」。今回登場していただくのは、QURUWA地区内の連尺通りにある予約制の小さな美容室「ie(いえ)」を営む、美容師の岡田志野さんです。

オープンは2020年6月。世間はコロナ禍、そしてご自身は妊娠中という状況下のことでした。以来、志野さんの確かな技術と温かな人柄で、たくさんのお客さまに愛されています。そんなieが生まれるまでの経緯や思い、そして現在の働きかたについて、志野さんにお話をうかがいました。

店名の由来は「家」じゃなくて「いい縁」

ieがあるのは、連尺通りにある「一隆堂ビルディング」の3階。夫である「ケルンデザインオフィス」の岡田侑大さんとともにワンフロアを借り、志野さんは美容室を、間仕切りを挟んだ隣のスペースで侑大さんがデザイン事務所を営んでいます。

店名の由来は、その名の通り「家」を指すのではなく、実は「いい縁」という意味なんだそう。

わたしは「縁」をすごく大事にしているんです。自分の人生のキーワードは、「縁」な気がします。お客さまとのご縁はもちろん、夫に出会ったのも縁だし、この場所で美容室を始めたのも、お店の設計を建築事務所studio36さんにお願いできたのも、やっぱりご縁があったからだと思うので。

美容室の中央にある大きな円形の什器は、お店のコンセプトである「縁」を表しています。これはもともと、ieの設計をstudio36の建築士である畑さんへ依頼する際に、「「縁(えん)」とまるの「円(えん)」をかけて、お店の真ん中に丸い柱を設置してほしい」とオーダーしたことがきっかけで生まれたもの。

ieの中央に設置された円形什器。円の外側に待合用のベンチやカットスペース、
内側にシャンプースペースがあるユニークな構造(写真:村山写真事務所)

ieを「お客さまと長く縁が続くお店にしたい」という思いが自分の芯にあって、その芯を柱に見立ててもらいたかったんです。だから丸い柱をお願いしたんですが、畑さんから、ただの柱ではなく、内側にシャンプー台を配置した什器にしてはどうかとアイデアをいただきました。

結果的にとても「太い芯」となったこの円形什器。室内のどの場所からも見える柔らかな曲線が、温かくて居心地のいい雰囲気を作り出しています。

他の人を気にせずにゆったり過ごせるのも、プライベートサロンならではの魅力。ベビーベッドやベッドメリーなども用意されているので、小さな子どもと一緒でも来店できます。

円形什器は、志野さんの「芯」を表している(写真:村山写真事務所)

くせ毛というコンプレックスから美容の道へ

志野さんは愛知県刈谷市出身で、ご実家はきゅうりの専門農家を営んでいます。そんな志野さんが美容に興味を持ったきっかけは、自身のコンプレックスにあったのだとか。

小さい頃、くせ毛が悩みだったんです。でも、母は見た目を全く気にしないタイプで。「髪の毛なんてどうでもいいじゃん!」って感じだったので、自分で工夫するしかなくて。寝ぐせをピンで止めてみたり、帽子をかぶってみたり、子どもながらいろいろな美容室に行ってみたり……。髪の毛がうまくおさまっていると、学校に行くのが楽しい。それが美容に興味を持つ発端になりました

子どもの頃から、自分の手で何かを作ることが好きだったという志野さん。お菓子作りも大好きだったので、中学生の段階で「美容師かパティシエのどちらかになりたい」と考えていたそうです。高校生になり、いざ進路を決める際に、「お菓子は、食べてもらえないと悲しい」という理由で、自分の仕事がダイレクトに相手へ伝わる美容師の道を選びました。

カット中の志野さん

お客さまと長くお付き合いできる美容師になりたい

名古屋の美容学校を卒業した後、岡崎市内の美容室に就職。そこで、現在へつながる仕事のスタイルのベースがつくられました。

就職活動では、最初は関西方面の美容室を探していました。ひとり暮らしをしてみたかったんです。でも、あるとき京都の美容室で「どんなお客さまが多いですか?」と尋ねたら、「京都は大学がたくさんあって、いわゆる学生のまちだから、若いお客さまが多いけど、4年経ったらいなくなっちゃうよ」といわれて。それを聞いて、せっかくご縁があったのに、すぐに別れるのは寂しいと感じて。わたしは、担当させていただいたお客さまと長くお付き合いがしたいな、と思ったんです

せっかくならお客さまだけでなく、家族や友人の髪の毛をずっと切ってあげられる環境がいいかもしれない。そう思い至り、改めて愛知県内の美容室を検討。そして志野さんが就職したのが、前述の美容室でした。

その美容室は、美容師がシャンプーやカット、ドライヤーなどを最初から最後まで1人で施術するスタイル。その分、美容師の責任は重大なのですが、当時学生であった志野さんにとって、その責任という言葉は、重く感じるのと同時に、憧れにもなりました。

その美容室のオーナーさんは、お客さまと20年、30年と長いお付き合いをされていて。わたしもそんな美容師さんになりたいと思いました。

開放的な窓からは、夕暮れどきになると美しい西陽が差し込む

目標は全部叶った。その一方で……

勤め始めてから、約9年。仕事は充実していてやりがいもあり、長く付き合えるお客さまも増えてきました。当時のことを「目標が全部が叶っていた」と志野さんは振り返ります。しかし一方で、なんとなく物足りなさを感じ始めました。

その頃、のちの夫である侑大さんや、仲のいい美容師の友人が、それぞれ同じタイミングで独立することに。

親しい人たちの独立を間近でみて、「いいな、かっこいいなぁ」と思いました。わたしはそれまで、独立を夢見て仕事をしてきたわけではなかったのですが、2人に影響されて、独立という選択肢を含めて、自分の人生を改めて考えてみました

そのとき働いている環境が大好きだったので、別の美容室で働くことは考えられませんでした。では、もし1人でやるとしたら……?

「美容室にベビーベッドを置いたら、赤ちゃん連れの方も気軽に来れるのに」。「お子さんを連れて、にぎやかな環境で髪の毛を切るのもいいかも」。

長い間、お客さまとともに歳を重ねていると、環境や年齢の変化で、それぞれの悩みも変わっていくことに気づきます。そんな人たちに対して、「もっとこういうサポートがしたい」とアイデアが浮かぶことがあっても、当時働いていたのは自分だけのお店ではないので、個人的な意見や理想を押し付けるわけにはいきません。

でも、わたし1人のお店だったら、叶えられる。それなら、自分でやってみようー。だんだんと独立に向けた現実的なイメージが形づくられていきました。

カット台の横に設置されたベビーベッド

「3階が空くから、どう?」

こうして、まずは勤めていた美容室を辞めることを決意した志野さん。そこから約1年かけて、担当顧客の引き継ぎをしながら、美容室をオープンさせるための物件を探すことにしました。辞めてから開業まで期間が空いてしまうと、その間担当していた顧客の髪の毛を切れなくなってしまうのが心残りだったため、「なるべく早く物件を見つけて、お客さまを待たせないようにしよう」と考えていたそうです。

「一隆堂ビルディング」は、夫の侑大さんが当時4階にオフィスを構えていたことから縁がつながりました。

一隆堂ビルディングのオーナーの奥さまが、わたしが勤めていた美容室に髪の毛を切りに来てくださったんです。そのとき、「近々この店を辞めて独立する予定で、物件を探しているんです」という話をしました。ちょうどその頃、決まりかけていた物件がいろいろな事情でダメになっちゃったばかりで。すると、「それなら、ビルの3階が空くから、どう?」と声をかけてくださったんです。

さっそく侑大さんと、studio36の畑さんとともに3階を見学。ビルのキャパシティからシャンプー台を2台設置するのは難しく、1台なら可能とのことで、まさに1人で営業する予定だった志野さんにはぴったりでした。しかし1人で使うには、ワンフロアは広すぎる……。

そこで、4階を借りていた侑大さんが3階に移動し、フロアを仕切って2人でこの場所を借りることになりました。

カット台から鏡越しに外の景色が見られる(写真:村山写真事務所)

派遣、工事、妊娠、コロナ。「重なるときって重なる」

美容室を辞めてから、ieの工事が完了するまでの数カ月間、志野さんは派遣会社に登録し、要請を受けた美容室に派遣される「派遣美容師」として働きました。

手を休めなくていいですし、それまで1つの美容室に長く勤めてきて、他のサロンの働き方を知らなかったので、いろいろと経験してみたかったんです。他の現場を知ることで、改めて今までの環境のよさを実感したし、ちゃんとした方に技術を教えてもらえてきたんだ、という自信につながりました。そして、お店を作るうえで考えていた“自分が大事にしたいこと”が、より明確になりました。

派遣美容師の仕事と、お店の工事に加えて、プライベートでは不妊治療中でもあったという志野さん。そんな矢先、新型コロナウイルスが流行し始め、さらに妊娠がわかります。目まぐるしく状況が変わる中、不安はなかったのでしょうか。

重なるときって重なるんだなぁ、と思いました(笑)。でも、いろいろなことが同時に動いていたからこそ、1つのことだけにあまり深刻にならなくてよかったのかもしれません。

「妊娠中、すごく元気だったんです」と笑う志野さん

妊娠中は体調もよく、ペンキ塗りなどの作業も自分で行っていたというから驚きです。

「自分のお店だから、自分でやらなきゃ!」と意気込んでいましたね。でも実は内心、すごく心配で。後から不安になってYahoo!知恵袋で「妊婦 ペンキ塗り 影響」なんて調べたことも(笑)。子どもは無事、元気に生まれてきてくれたので、今となっては懐かしいですけど。

大々的に告知ができないオープニング

そして妊娠安定期に入った2020年6月、ieがオープンしました。とはいえ、その時期はまだコロナ禍で、世の中は大々的に告知ができる雰囲気ではありませんでした。そこで以前からの顧客で、かつ「はやくオープンを待っていますね」と連絡をくれた人から、少しずつ開業の報告をしていったのだそう。

長いお付き合いのお客さまで、どのような方なのか知っているし、わたしの状況もご説明させていただいていました。そういう安心感があったからこそ、あの状況下でスタートできたんだと思います。

そのまま臨月まで働き、11月に出産。そして、産後3カ月で仕事を再開しました。お店から近所にある義実家に同居し、1人施術してから、授乳のためにいったん帰宅、その後お店に戻ってもう1人施術し、子どもと散歩するためにまた帰宅、といった怒涛のスケジュールを、週に2、3日こなしました。

産後すぐに働くなんて、大変だったのでは?と聞くと、「むしろ、仕事が育児の息抜きだったんです」との返答。

もちろん寝不足ではあったんですが、先輩ママであるお客さまの「長い人生の中で、たった1、2年寝ないだけじゃん!」という言葉が心に刺さっていて。「確かに、今だけだと思えば苦じゃないじゃん!」って。思い返せば、わたしはずっとこんな風に、お客さまのふとした言葉に励まされてきたんです。

小さなお客さまたちから届いた手紙やイラストが店内に飾られている

美容師だからこそできるサポートがしたい

そんなieのオープンから、約4年の月日が経ちました。現在もお客さまのほとんどは、以前からお付き合いがある方か、その紹介なのだとか。

美容室って、紹介で来ていただけるのが1番いい形だと思っているので、そこを目指しています。ご縁があった方に来ていただけたらうれしいです。

現在はお店の通常営業の傍ら、ヘッドスパを勉強しているそうです。今後は髪の毛を切るだけでなく、リラクゼーションをサポートするメニューを作りたい、と展望を語ります。

頭に触れることで、人を休めてあげられたり、安眠を導いてあげたりという癒やし効果があるんです。他人の頭に触ることができるのって、美容師の特権じゃないですか。だから、その特権を生かして、少し違う視点でお客さまのサポートがしたいなと思っています。

ベッドメリーは季節によって変えているそう

QURUWAエリアのユニークさは「お客さまの働いている姿が見られること」

さまざまな縁が重なり、QURUWAエリアでお店を構えることになった志野さん。最後に、このエリアで働きながら感じていることを尋ねました。

このエリアの周辺で働いている方が、美容室に来てくださることがあります。普段働いている姿を見ている方の髪を担当できるというのは、以前の環境にはなかったことで、刺激になるし、勉強になりますね。「このお客さまは、普段こういう風に接客してるんだな」とか。今、1人で働いているからこそ、知っている人が仕事をしている姿を見られるのがうれしいです。仕事と暮らしが密接している方が多いので、スーパーなどで偶然会うことも。これは、このエリアの特徴だなと感じています。

岡田志野
1987年愛知県刈谷市生まれ。高校生の頃に美容の道を志し、名古屋の美容専門学校へ。卒業後は岡崎市内の美容室に10年勤め、独立。いろいろなご縁に恵まれて2020年、康生エリアで開業と同時に育児もスタート。育児を通して改めて仕事も大好きだと再確認。髪を切ることだけを目的としない、それが価値になる美容室になれたらいいなぁと思っています。
https://ie-salon.com

執筆・撮影(特記なき場合):前田智恵美(フリーランスライター)

公開日:2024.09.28