あの人のトライ:一隆堂喫茶室 畑添章宏さん、鶴田圭介さん

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連尺通りにある趣のある5階建てのビル。2016年にリノベーションし、1階にオープンした「一隆堂喫茶室」は、隣にある1955年創業の手焼きせんべい屋「一隆堂」の喫茶部門です。

以前は愛知トリエンナーレの展示会場としても使われていたビルは、しばらくの間空きビルだった

ビルは「一隆堂ビルディング」と名付けられ、2階には、セレクトアパレルショップ「ams,」、3階は美容室「ie」とデザイン事務所「ケルンデザインオフィス」、4階オーダーメイドの革靴を手掛けている「Lapel」が入っています。同じ4階には、珈琲と一緒に本をゆっくり読める場所として「一隆堂読書室」があり、オーナーの畑添章宏さんの選書と、マスターの鶴田圭介さんが集めた漫画が壁一面に並んでいます。

ビルに移転する前の旧店舗は、せんべい屋の逆側の隣の物件にありました。金土日だけ開いている喫茶店として2013年にスタートしました。お店を立ち上げた畑添さんと、切り盛りしている鶴田さんにお話を伺いました。

実家のため、まちのために未経験で喫茶店をはじめる

一隆堂は畑添さんの母方のご実家にあたります。畑添さんは近くの小学校に通っていたので、当時は学校帰りにお店に顔を出しては手伝いに来ていたお母さんと一緒によく帰っていたそうです。当時の康生エリアは、隣を歩く人との肩がぶつかるくらいの賑わいで、周りの商店の人たちにもよくしてもらった思い出がたくさんあると畑添さんは語ります。

それが1990年代ごろからのまちの衰退と共に、せんべい屋の売り上げも落ちていきます。岡崎に住みながら、名古屋の百貨店で企画戦略と流通商品の仕事に携わっていた畑添さんに、「どうにか改善できないか」と相談があったことから話がはじまります。

2012年にパッケージの変更や商品の見直しをし、さらに2013年に岡崎が愛知トリエンナーレの会場だったのでその休憩所として、喫茶店をやることで人が来るのではと畑添さんは考えました。最初はせんべい屋の横で倉庫として使っていた建物でスタートした喫茶店は、2016年にビルに移転します。

左)畑添章宏さん、右)鶴田圭介さん

お店をはじめようと思ったのも、まち全体が盛り上がっていないのが問題だと感じたからです。生まれ育ったこのまちが好きだから、このお店を通して商店街にもまちにも何かがしたかった。食料品の担当をしたこともカフェの運営経験もない中で始めたので、もちろん不安はありました。でも食への探究心は人一倍あるので、自分が納得して選んだ、こだわりのものを出していけば大丈夫だとも思いました。素材が確かなものしか使わないというのは、せんべい屋も材料にこだわっているから、同じ意識を喫茶店につなげられるなと。

畑添さん

小学生の頃からの食材マニアで、つい食品表示欄を見てしまう癖があるそうで「これは漫画の『美味しんぼ』影響かな」と畑添さんは笑います。

うちの夏の風物詩になっている天然氷のかき氷は、テレビ番組で特集されて全国的にムーブメントが起きているのを見て、これだ!と思って始めました。材料だけで勝負しているところも、かけるシロップで種類が変えられるところも、生地は一緒で入れる中身で種類を変えている、うちのせんべいと同じだなと思っています。

畑添さん
珈琲や紅茶などのドリンクを注文すると、おせんべいが1枚、お茶菓子としてついてきます
かき氷は定番以外に新作がたくさん出るので、夏の期間中に何度も通う方もいます

オーナー畑添さんとマスター鶴田さん

お店を切り盛りする、マスターの鶴田さんと畑添さんは岡崎高校の同級生。とはいえ、お互い理系と文系だったこともあり、共通の知り合いはいても話をしたことはなかったそう。

大学で畑添さんは東京に、鶴田さんは金沢に。東京によく遊びに来ていた鶴田さんが、畑添さんと友人の集まりで顔を合わせるようになり、社会人になって一緒にDJイベントをやっていく中で仲良くなったと言います。

自動車部品の設計を15年やっていたけど、その会社を辞めた時に畑添に声をかけられたんだ。「暇なら一隆堂喫茶室のバイトするか?」って。高校生の頃は、実家も遠かったし、康生エリアは都会だと思ってなかなか行かなかったから、畑添よりはこのまちに対して思い入れは少ないと思う。でも、一隆堂で働いているおかげで、知り合いは増えているし、楽しいなと思ってる。前の仕事とは全然違うけど、自分には飲食や接客は合っているかもしれない。

鶴田さん
コーヒーを淹れる鶴田さん

2013年にオープンしてからビルに移転するまでの2年間は金土日営業だけで、その時から手伝ってもらっていたんだけど、だんだん鶴田くんのお客さんも来るようになっていたんですよね。移転後の規模だと週6日は稼働させたかったから手伝いではなく、本格的に鶴田くんに入ってもらいました。彼が地元の人じゃなかったのは、たまたまだけどよかったかも知れない。まちに密着しすぎてもいけない思うし、いい距離だなと思っています。

畑添さん

「現代版家守になる」という決断とお店の広げ方

お店を始めるだけでも大変なことだったはずですが、「一隆堂ビルディング」は畑添さんが1人で物件を購入してリノベーションと店舗誘致をした場所。そんな大きな決断ができたのは、2015年に「岡崎市家守構想検討委員会」(空き店舗の増加や、まちの賑わい低下の中で遊休不動産の活用を考えるまちの活性化プロジェクト)に参加したことで、場所をつくる価値や影響と現代版家守(遊休不動産の活用を契機として、テナント誘致や各種経営支援やサポートを行うことで地域全体の活性化や再生につなげる民間事業者のこと) の仕組みを知れたから、と畑添さんは語ります。

参加した翌年、2016年にずっと空いていたビルを不動産屋から使わないかと紹介されたんです。まちのランドマーク的な建物だったから、ここに喫茶店を移したらどうか、と考えて。周りには他に新しい店舗はなかったけど、今後まちの広がりもありそうだし、先駆け的にやってもいいかもしれないと思えたので、どうにか算段しました。自分自身は普段サラリーマンをしているから、喫茶店も服屋も経営できない。自分のやれることはお金を出して物件を買うことくらいで、不動産オーナーという立場でなら、思い入れのあるこのまちに関われると思ったんです。

畑添さん

鶴田さんは「横のつながりもできるし、このまちでいま何が起きているか知ったほうがいいから」と畑添さんに勧められて、2016年に行われた第一回リノベーションスクール(まちなかにある空き家などを対象とした、エリア再生のためのビジネスプランを創り出す短期集中の実践型スクールのこと。)にも参加したそうです。

その場には、一隆堂喫茶室の内装を手がけた榊原節子さんもいました。実は畑添さんの会社の先輩でもあり、会社を辞めた後に建築家になった人なので「他の人に依頼することは考えられなかった」と畑添さんは語ります。

この地域をよくしたい想いにも共感してくれたし、建物の面影を残したいから、外観は変えず、内装や天井や壁はなるべくそのまま使用したいと話していました。もちろん予算の兼ね合いもあるけれど、まちの中心にあるから間口を広く、お年寄りも入れるようにしたいと。お客さんの幅が広いのはいいことだと思っているので、個性を出しすぎないようにしてもらいました。

畑添さん

オープンしてから現在の場所で6年。いまだに、お洒落すぎて入りづらい、どこに入口があるかわからないと言われ、看板を立てたり、窓辺にサインを入れたりと試行錯誤をくりかえしているそうです。

人員を変えず、機材を増やさない中でできたのが、来てくれているスタッフが考案した、夏場のかき氷以外の売りになる「おやつ」だったそうです。実際に硬めのプリンを始め、おやつもお客さんに愛される定番になりつつあります。「これが今できるマックスのところかな」と、お店はずっとトライしながら続いていくのだということを教えてくれました。

一隆堂喫茶室
畑添章宏(写真右)
1975年岡崎生まれ、大学4年間と社会人になってからの2年間を除き岡崎在住。名古屋でのサラリーマン生活のかたわら、母方の実家である連尺通の手焼きせんべい店・一隆堂のリブランディング、また2016年からは一隆堂ビルオーナーとしての活動も行う。一隆堂喫茶室のBGM編集のほか、毎月最終土曜夜に喫茶室で開催されるイベント「ジャズ喫茶 一隆堂」ではレコード係も担当。

鶴田圭介(写真左)
1975年岡崎生まれ。やや長めの大学時代を金沢で過ごした後、Uターンして自動車関係の企業に就職。勤続15年を機に企業を退職後、それまでサラリーマン業のかたわら時々かき氷職人として手伝っていた一隆堂喫茶室で本格的に働き始め、現在は経営者として喫茶室のマネジメント・接客・調理・かき氷職人を全て担う。毎週金曜には、鶴田書道塾の塾長として子供から大人まで多数の塾生を指導しており、現在も塾生募集中。

文章:山崎翔子(Okazaki Micro Hotel ANGLE)

公開日:2022.12.05

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