岡崎の変わるまちなか「QURUWA」と何する?

あの人のトライ:マルサ 櫻井喜朗さん

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2023年8月末、QURUWAエリアに新しく「OHKA GELATO(オーカジェラート)」がオープン予定です。手がけるのは、創業50周年、食品卸業を営む「株式会社マルサ(以下:マルサ)」です。新たなトライとして、なぜジェラート屋を始めることになったのか、ジェラート屋にどのような想いを込めているのか。マルサ代表の櫻井喜朗さんにお話しをうかがってきました。

大学卒業後からマルサの取締役になるまで

岡崎市の宇頭町で生まれ、明大寺町の飲み屋街で育った櫻井さん。大学在学時に地元の銀行2社から内定をもらっていたものの、スノーボード好きが高じ、内定を蹴って大学卒業後すぐ、カナダにワーキングホリデーへ行くことに決めました。

現地ではスキー場の裏方仕事や、ウィンタースポーツを楽しんでいたものの、お金が底を尽き、11ヶ月でワーキングホリデーを切り上げて帰国。

カナダでワーキングホリデーを楽しむ櫻井さん(右)と韓国人のルームメイト(左)

しかし、なかなか働く気になれず、フリーターとして生活していた櫻井さん。そんな櫻井さんを見かねたマルサの創業者である父親から、「食品製造業を始めることにした。お前はそこの工場長をやれ。」と声をかけられ、半ば強制的にマルサの職員として働くことに。

和食の惣菜をつくる工場を任されたものの、新しく機械を買うためにお金を払っていたのは実は詐欺業者で、機械は一向に届かず。会社は大きな負債を負ってしまいます。櫻井さんとパート・アルバイト数人で、機械でつくる予定だった大量の惣菜を全て人の手でつくり、波瀾万丈の生活が1年続いたそうです。

マルサの会社として構えているこの建物の1階でかつて製造業をしていました

この一件もあり父親と大喧嘩した櫻井さんは、マルサを離れる選択をします。

これからどうしようかと悩み上京を決意したものの、上京3日前に母親が交通事故に遭い怪我を負ってしまったため、上京をやめて地元に残ることに。

求人広告の代理店にて勤務したのち、友人の誘いを受けて時計屋に転職。ほぼ休みなく働いて業績を伸ばし、新たな職をと考えるようになった30代突入直前に、父親からマルサに戻ってこないかと再び声がかかったそうです。

父親と頻繁に喧嘩をしていたものの、実家で顔を合わせるたびに「父親も歳をとったな……」と思うことや、これ以上迷惑をかけるわけにもいかないと考えることが増え、櫻井さんはマルサに戻ることを受け入れました。

櫻井さんがマルサに戻って5年後、父親から代表取締役を継承。

始めは食品のネット販売をしていたものの、在庫を抱えることが難しい生鮮食品の扱いに苦戦。当時流行していたSARSによりマスクが品薄であることに着目し、マスクを輸入販売することで赤字補填していた時期を経て、櫻井さんに新たなトライへの思いが芽生えます。

色んなことに手を出すよりも、本業である食品卸一本で行く方が絶対に伸びるなと考えるようになって。地元には飲食店もホテルもたくさんあるのに、なんで今まで全部に営業して来なかったんだろうって思って、1件1件、取引してくださいって直接お願いに回ったんです。

販路を増やしたことにより段々と売上を伸ばした頃、地元のシェフから「蒲郡のみかんの果汁をマルサで仕入れてくれないか。」と話があり、蒲郡の農協からみかんの果汁を扱うようになったことが、マルサのターニングポイントになったそうです。

以来、シェフや職人から「〇〇の農家さんのとこ行ってきて。」「こういう食材を探してるんだけど。」と声をかけられることが増え、私たちにできることなら何でもやろうと、農家や生産者の元を直接回るようにしました。

食品卸業者のほとんどが、農家が市場に卸した食品を仕入れている一方で、市場を介さずに直接農家から仕入れるルートを確立したことにマルサの強みがあると、櫻井さんは語ります。

ホテルや飲食店に配送した帰りに、農家に寄って野菜を積んで帰ってくるとか。普通の食品卸業なら考えられないことをマルサではしています。市場を介した仕入れのみをおこなっていた頃は、生産者の顔が全く見えなかった。でも、生産者と話すようになって、各農家の努力を直接目で見て、耳で聞いて、このこだわりを消費者に知ってもらえないだろうかと私たちは考えるようになったんです。

マルサ従業員の柳田さん(左)とゆたか農園さん(右)が話している様子

コロナと事業リノベーションスクール

新型ウイルスによる緊急事態宣言が発表された直後、月の売上は10分の1まで減少。とにかく動かなければ、と岡崎市商工会議所の青年部が実施していた事業をリノベーションする企画に参加。その際にマルサのプレゼンを岡崎市役所・QURUWA戦略課の中川さん、蒲野さんが聞いており、2人から法人向けの「QURUWA事業リノベーションスクール(以下:事業リノスク)」を行政として実施することになったから、ぜひ参加して欲しいと誘いを受けて、事業リノスクに参加することにしたそうです。

事業リノスクの誘いを受ける2ヶ月前、経済産業省による事業再構築補助金に採択されており、採択された事業計画のブラッシュアップも兼ねて事業リノスクに参加したそうですが、事業リノスクに大きな影響を受けたと櫻井さんは語ります。

事業リノスクに参加していなかったら、絶対にここまでは来れなかった。始めの事業計画では、朝食とランチ、その後の時間帯にジェラートが食べられるレストランにしようとしていたんです。でも、リノスク1回目の講義でQURUWA総合プロデューサーの清水義次さんに、「何か1つに特化してスピード感を上げた方が事業の実現に近づきますよ。」とアドバイスをいただいて、ジェラートに特化することを決めました。

事業リノスクにて櫻井さんが最終プレゼンをしている様子

ジェラートを選んだ理由について、櫻井さんはこう語ります。

扱っている野菜や果物の中には、2〜3日で味が変わってしまうものもあるんです。食品の質を保つために冷凍したものも、ジェラートなら使いやすい。それに、「〇〇さんの梨のジェラート」って置いたら、食品のことも農家のことも想像しやすいじゃないですか。やっぱり生産者と食べる人をつなぎたいっていう思いが強いですね。美味しい食品の生産者の顔がわかる、それが特別なことなんだということをジェラートを通して知ってもらいたいんです。

リノスクの参加途中、南康生家守舎主導である、中央緑道沿いにあるビル1棟に飲食店や事業事務所などを迎え、チャレンジしやすい環境をつくる「ぐうぐうプロジェクト」の話を聞いている際に、「1階はジェラート屋だから。」とオーナーから熱いラブコールを送られ、QURUWAエリアに「OHKA GELATO」を構えることが急遽決定。

中川さんや蒲野さんとのつながりができて以来、QURUWAエリアに頻繁に足を運んでいたという櫻井さん。昔に比べて「廃れてしまった康生」を見ていたからこそ、籠田公園が綺麗になって中央緑道ができてと、生まれ変わっていく康生を見て、まちの魅力に気づき、QURUWAエリアでオープンすることが決まって安堵したそうです。

QURUWAエリアへの思い・今後の展望

点在するお店やコンテンツを掛け合わせることが大切だと櫻井さんは語ります。

「OHKA GELATO」のSNS運用を「Micro Hotel ANGLE」に依頼したり、ぐうぐうの一員として他事業者と共同でプロジェクトを進めたりと、なるべく様々な事業所と協働しています。やはり自分たちだけではどうしても限界があるし、積極的に掛け合わせることが街のイノベーションにもつながると考えているので、「掛け合わせる」ことは自分たちにとって大事なキーワードです。

また、QURUWAエリアへの寄与と、今後の展望を語ってくれました。

ウォーカブルな街ってなかなか実現が難しいはずなのに、QURUWAエリアはそれが普及しつつある。食後にデザートを食べる形で「OHKA GELATO」に寄ってもらい、ウォーカブルな街をつくる一員になれたらと思っています。さらには、QURUWAエリアで生活する人々の文化度をもう何段階か上げるために、はじめの事業計画にあった、朝食やランチが楽しめる店舗をもう1つ、2つと店舗拡大していきたいですね。

「OHKA GELATO」の名前の由来は複数あり、1つは、岡崎が桜の名所であるため「桜花」から。2つめは、地元の果物や野菜に恵まれたことへの喜びを表す「謳歌」からきているそうです。また、高校生や若い世代が日常の一部として「OHKA GELATO」に足を運び、青春を「謳歌」してほしいという願いも込められており、世代を越えて愛されるジェラート屋を、櫻井さんは目指しています。

櫻井喜朗
株式会社マルサ代表取締役。総合業務用食品卸売業を合歓木町にて営む。1977年、岡崎生まれ。二児の父。大学卒業後、スノーボードを極めたくカナダに渡る。その後、求人広告営業、舶来時計店スタッフを経て実家家業へ。34歳にて代表交代。その後、地産地消(地食)やSDGsの実現に向け取り組む。2023年9月、生産者と消費者を繋げるジェラート店をQURUWA内にて準備中。

文章・写真:平良涼花(Okazaki Micro Hotel ANGLE)

公開日:2023.08.01

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