岡崎の変わるまちなか「QURUWA」と何する?

あの人のトライ:有限会社稲垣石材店 稲垣遼太さん 

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 岡崎市が実は石のまちだと知っている方はどれくらいいるのでしょうか。 

良質な花崗岩(御影石)が取れる、日本3大石製品生産地(愛知県岡崎市、香川県庵治町牟礼町、茨城県真壁町)のひとつで、全国屈指の技術力を誇る職人や問屋など、石工品(せっこうひん)に関わる企業、通称「石屋」が集まる石製品の街でもあります。 

岡崎石工団地

今回の「あの人のトライ」で紹介する稲垣遼太さんがゆくゆくは4代目を務める「有限会社稲垣石材店」も、そんな石工品に関わる企業のひとつ。1927年に岡崎市中町で創業しました。お墓をはじめ、石像や石碑、住宅の石材などの製造販売、石工事請負業や企画運営業務をおこなっています。1967年に岡崎石製品工業団地協同組合の創立に伴って事務所と工場の移転をし、現在の矢作石工団地がある岡崎市上佐々木町中切で商いを始めました。 

稲垣石材店

稲垣さんは、「INASE(いなせ)」という石の器を中心とした自社ブランドを立ち上げ、2023年11月からはQURUWA地区内、中央緑道沿いにできた複合施設「偶偶GUUGUU」のシェアキッチンで週に1度「茶室INASE」をスタートします。 

全て流れやご縁なんですよね。最初からこれをやろうと思うことってあまりないんです。家業に戻ったときは、お墓を売っていたら生きていけるかなと思っていたし。わがままなだけだと思うんですけど、あんまり「こうするべき」「こうやるべき」が好きじゃないんです。 

そう柔らかく語る稲垣さんに、石屋がまちなかで飲食店を始めた、その経緯をうかがいました。 

家業を継ぐこと、茶道との出会い 

稲垣石材店の工場の風景

稲垣さんは、1人っ子だったこともあり、高校生の頃から自然と「自分は家業を継ぐのだろう」と思っていたそうです。地元の進学高校に進んだものの、休学して単位制の高校に入り直し、1年間ご実家で修行することに。現場で土やセメントを練ったり、お墓のクリーニング作業をしたり、工場で石を削ったり。そのまま継ぐつもりが、「大学に行ってほしい」とご両親に言われたこと、同世代のつながりもなく、世間も知らずに仕事を始めるのも危ういかもしれないと気づいたことで考え直し、まわりから1年遅れた4月に名古屋の大学に入りました。 

石屋で将来的に役立つことを考えたときに、経済学部もよぎったそうですが、お墓を販売しているので、お寺とのお付き合いも多いこともあって宗教文化学科を選んだそうです。そんな学業よりも、稲垣さんが思いがけず熱中してしまったことが「茶道」だったと語ります。 

在学中に部活で茶道を始めたらはまってしまって。いま12年ぐらい続けています。祖母がやっていたのでなんとなく身近ではあったんですけどね。お点前、礼儀作法、動きの1つ1つも奥深く、使う道具も芸術品や美術品なので面白くて。京都に釜の展示会を見に行ったり、美術館に道具の展示があったら見に行ったり。その経験や体験が「INASE」や「茶室INASE」につながっています。 

大学卒業後、稲垣さんは当初の予定通りすぐに家業を継ぐつもりだったそうですが、ご両親の「広い社会を見るために3年、1人暮らしをして他の仕事を経験して来い。そこで石屋よりもやりたいことが見つかったらそれはそれでいいから」という言葉を受けて、もう1度進路変更をします。最初の1年は喫茶店でバリスタをし、その後2年は医療機器メーカーの営業を経験。継ぐも継がないも関係なく、フラットに社会に出ていけたのは、とてもよかったと稲垣さんは言います。 

ただ、それでも気持ちは変わらず、2016年10月に家業を継ぎました。現在の仕事は、お客さんとの打ち合わせ、見積書や図面をつくって取引先と折衝、職人さんへの指示や納期調整が主だそうです。 

人と喋ったり、ものを納めたりが大半で、工場に行って作業するのは一日で平均したら一時間ないくらいですね。だから僕自身は職人ではないと思ってますし、自分のことを「石工」とは呼ばない。常務取締役という肩書はあっても「石の人」くらいですかね。ディレクターなのかプロデューサーなのか、本当に自分の肩書きが何かわからない。自分は石屋の世界で過ごして来なかったので、継いだ時に新鮮な価値観で見られた部分はあったかもしれないです。石屋をどうやって面白くできるかも考えるし、結果的に飲食店での経験もつながっていますね。 

「INASE」のスタート 

2020年4月に始まったINASE(イナセ)という稲垣さん独自のブランドでは、お墓や石像、石碑などの本業とは異なる、使い手との対話を大切に制作した料理と空間を盛り立てる「石の器」を中心に、食器やインテリア的な花器、お香立てなどひとつひとつ職人が手づくりしたユニークなプロダクトを取り扱います。 

そんなブランドも「たまたまの積み重ね」で始まったそうです。自社の展示場を掃除していたときに、昔つくった石のお皿を見つけてネット販売をしてみたら「こんなものもつくれませんか」と、とある飲食店の方が新店舗用の器を注文してくれたのが2017年。その後もネット経由で問い合わせがあったり、口コミが広がってスポットで注文が入ったり。本業はお墓の製造販売なので、サブのつもりで3年ほど続けていたそうです。しかし、稲垣さんがいろいろな人にその話をしたら「面白いから本格的にやったらいいと思う」と言われたのがブランドを立ち上げたきっかけだったと語ります。商品の1つ「QR stone」も飲食店のお客様が「石にQRコードが書いてあって、それを読み込んだらメニュー表示ができないかな」との相談を受けて、レーザー加工機を使って試行錯誤しながら開発したそうです。 
 

相手からの「これが欲しいんだけどできるかな」から始まるんですよね。僕は「そんな需要があるんだな、じゃあやってみるか」と煮詰めていく。うちがこれをつくりたい、これはどうですか、というのはあまりないんです。うちはいろいろな国の石材を扱っているので、見た目と石が持つ機能性を含めて提案できるのは強みかなとは思います。 

様々な「INASE」の商品が並ぶギャラリー

いまは、OEM(Original Equipment Manufacturing、他社ブランドの製品を製造すること)含めて卸やオーダー注文も多いそう。1点から試作し、少量から対応ができる反面、職人が1人しかいないので数をつくる方が難しいと語ります。 

最盛期の1980年代から40年が過ぎて矢作石工団地の石屋は78軒から45軒まで半減していますが、そんな業界の現状をあまり調べずに入ったのが良かったかもしれないです。つくり手も買い手も減っていく中で働き出して、この先を考えた頃に「INASE」が始まった。偶然面白そうな仕事に出会って可能性を感じているし、石屋を続けることを考えると、将来的にひとつの柱になるかもしれないなら、新しい展開につながるように本気を出してやってみようと思っています。 

新しいブランドを立ち上げるにあたって、どんなことを考えていたのかを伺うと、3代目である父親を含めた親族に相談はしなかったそうです。自分が全責任をもって推し進め、結果で納得させることしか考えていなかった、と語る稲垣さんはこう続けます。 

周りからしたら、気づいたら何やら始めていた感じだったと思います。でも、これまでの経験から、石と石工の価値は様々な人たちに届くものであるという確信も自信もありました。何より自分が常に楽しいと感じられる仕事に出会えたことが嬉しかったですね。 

「INASE」のギャラリー兼、商談の場でもある事務所

 偶然の「偶偶」 

INASEを立ち上げてSNSで発信していた2017年頃。 当時は籠田公園前にあったセレクトショップの「MATOYA」からフォローされたのが、 稲垣さんが康生地域の人と知り合うきっかけになったそうです。 

岡崎に面白そうなところがあるなと知って、最初はごく個人的な形で訪れました。話しているうちにいつの間にか仕事の話にもなって。共作でもあるバナナスタンドを作るために一緒に石を取りに行ったりと、今ではMATOYAオーナーの的山さんとは仕事だけでなく、プライベートでも仲良くさせてもらっています。

そんな中で「studio36」に「建築の一部に石を使いたい」と相談されたのが代表の畑さんに会ったきっかけだったと語ります。 

偶偶GUUGUU

その後、共に参加していた企業向けリノベーションスクールで、畑さんから 「いま計画している複合施設ビル偶偶の1階にシェアキッチンのブースをつくるので出店しませんか?」と誘われて、「面白そうですね」と二つ返事で快諾。自然と初期メンバーになったそうです。出店だけでなく、建物の中にも自社の石を使ってもらった部分があると教えてくれました。 

偶偶の奥にあるシェアキッチン。タイルと踏み石、中のカウンターの足を置く部分

実は、studio36が主導する「丘の途中のマーケット」の出店が稲垣石材店の飲食店スタートでした。これも「面白そうですね」と参加したそうで、その時は珈琲の提供と石の展示をしていましたが、本当は抹茶を提供したかったそう。ただ、外での提供は食品衛生許可上、難しかったので、偶偶では今度こそ自分がやりたかったことをやろうと、茶室INASEを始めたと語ります。 

抹茶や茶道に触れる機会をつくって、ハードルを下げたいんですよね。目の前で入れてもらう体験をすることで、作法も気軽に聞けて、流派も飲み方も自由に楽しんでくれたらいいと思ってるんです。そうじゃないと茶会に行くハードルが永遠に下がらない。茶道も石も触れる人口が減っているから、まずは楽しむ人が増えたらいいなと。 
あとは、いまも自社ギャラリーはあるけれど、予約制だし目的がないと行きづらいと思う人もここなら気軽に来てもらえる。新しい、いい出会いの場所にもなると思っています。公私混同の極みですね。本業は別にあるし、現状週1ですが長くやりたい。

薄茶、濃茶以外にも、より飲みやすい抹茶ラテなども用意

石屋、石切場の未来に向けて 

稲垣さんが今後やっていきたいことのひとつが、通称「石切場」といわれる採石場の利活用。

中根石材

現在、後継ぎ問題と石の売れ行き不調もあって、閉山する採石屋が多い中、岡崎市の採石場である「中根石材」は岡崎フィルムコミッションにも登録し、アクションや爆破シーンの撮影などで一部の人気を博しています。 

左:中根浩司さん、右:稲垣遼太さん

中根石材の中根さんは、YouTubeでも石の採掘動画を配信しているんですが、こんなに柔軟で面白い人もなかなかいないと思うんですよね。この場所の魅力もあるし、未来につなげるためにもまずはここを知ってもらいたい。だから場所のアテンドもします。背景も魅力的で、音が響く空間を活用して来年くらいには演奏会を開きたいと考えているんです。ステージも客席も人の出入りの仕方も考えることは山積みですが。でも、楽しいことをやっていると本業にもいい風が吹く。いま何軒かお墓の方でも契約が決まって、いい忙しさなんですよね。

1人で本業とブランドと茶室の三役をこなそうとしている稲垣さん。自身の忙しさや大変さよりも、出会えたものごとの面白さを大切にして丁寧につないでいく姿に、石屋を取り巻く現状もより明るい未来につながっているように思えました。 

稲垣遼太
1990年、愛知県岡崎市生まれ。 大学卒業後、喫茶店のバリスタ、医療機器メーカーの営業を経て、 
2016年に家業の稲垣石材店にて勤務開始。 メイン事業の墓石業に従事しつつ、「石の価値をすべての人に届ける」ことを目指し、INASEを新たに立ち上げ、石の食器やインテリア用品の製作などを行っている。 ミシュラン星付き店や海外高級レストラン等からも注文が多数舞い込むなど人気を博しており、新しい石と石工の価値を伝え続けている。 

〒444-0936 愛知県岡崎市上佐々木町中切8-5 (石の都・矢作石工団地) 
TEL.0120-31-6879 
年中無休(一部休みがあります)  
営業時間 9:00~17:00 
駐車場あり

https://www.stone-world.co.jp
https://www.instagram.com/inase_okazaki/?hl=ja
https://www.instagram.com/inase_chashitsu/

文章・撮影:山﨑翔子(Okazaki Micro Hotel ANGLE)

公開日:2023.11.30