あの人のトライ:Hasta mañana! 岡田桃子さん
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愛知県岡崎市の「変わるまちなか」QURUWAエリアで、日々トライを続ける方々のお話を聞いていくシリーズ「あの人のトライ」。今回登場いただいたのは、籠田公園と桜城橋をつなぐ「中央緑道」に面する康生通南で、クラフトビールボトルショップ「Hasta mañana!(アスタマニャーナ)」を営む、岡田桃子さんです。
東岡崎駅周辺で生まれ育った桃子さん。市内の短大を卒業したのち、アパレル会社での勤務や事務職を経て、以前のあの人のトライでもご紹介した複合施設「NEKKO OKAZAKI」内に、アスタマニャーナを2022年にオープン。国内外のクラフトビールを多数取り扱っており、角打ちスタイルでも楽しめるお店として親しまれています。
また、「QURUWA」という名前が付く前から、このエリアでよく飲み歩いていたという桃子さん。通常の営業だけでなく、月に一度中央緑道での「緑道ビアガーデン」を主催しており、まちで飲み歩きながらクラフトビールを楽しむ文化づくりにも尽力されています。
オープンから丸4年を迎えた桃子さんに、開業に至った経緯やまちへの思いを伺いました。聞き手は、同じくQURUWAエリアにあるOkazaki Micro Hotel ANGLEの平良涼花がつとめました。

岡崎で生まれ育った少女時代
—— 今日はよろしくお願いします。まずは生い立ちから教えてください。
東岡崎駅の近くで生まれ育ちました。幼少期は、忙しなくて落ち着きがない子だったと思います(笑)。進学にあまり興味がなくて、早く大人になりたい、早く働きたい、早く自分でお金を稼ぎたいと、自由を追い求めるような学生時代でした。
—— 中学校を卒業したあとは、どのような進路へ?
隣の安城市の高校、その後は岡崎に戻って市内の短大に進学しましたが、親に勧められてなんとなくって感じでした。
短大時代は、コンビニやアパレルショップでアルバイトをしていました。接客と販売が好きで、「たくさん販売して、会社に貢献したい」とやりがいを持ちながら働いていたら、アルバイトリーダーを任せてもらったことも。バイトと単位取得に明け暮れていた学生生活でしたね。
——短大卒業後は、どのような会社へ?
2010年に新卒で入った会社で社会の厳しさを知りました。いわゆるブラック企業だったんです。自分なりに向き合っていましたが、気力が持たず、入社して半年で退社。そのときは家族に迷惑をかけたし、メンタルがやられて家に篭るようになってしまって……。
1年経ってからようやく「なにかしなきゃ」と思えるようになって、恩師の紹介もありアパレル会社に入社。「手に職をつけたい」と、社会福祉系の資格勉強にも挑戦したんですけど、どれも続かず辞めてしまって。
そこからはまた、アルバイト漬けの日々でした。昼間はアパレル系の派遣で働いて、夕方からは居酒屋でバイトをして、退勤後に駅周辺で飲み歩く、みたいな。
そんな生活をしていたら、派遣先の先輩から「あなた、そんなんじゃダメよ!」って諭されて(笑)。知り合いの助けもあり、23歳のときに岡崎市内の自動車会社へ事務職として中途入社しました。

クラフトビールとの出会い
—— 事務職の仕事はどうでしたか?
事務職は初めてだったので、できることが増えていく感覚がすごく楽しかったんです。7〜8年ほど勤めていましたが、あるときから、自分の積極性と評価がうまく結びつかないことが増えてきて、次の仕事を考えるようになりました。
—— それで、会社を辞めようと?
もともと、海外に住みたいと思っていました。でも、ちょうどコロナ禍に突入して現実的ではなくなってしまって。そしてなにより、緊急事態宣言が出て、飲食店がアルコール類を提供できなくなってしまったときに、大好きなお酒が外で飲めなくなってしまったことがショックで。
—— 桃子さんにとって「お酒」がやっぱり大切だったんですね。
このエリアでたくさん飲み歩いてきたから(笑)。クラフトビールと出会ったのも、材木町にある「BEER CAFE 154(以降:154)」さんがきっかけでした。
154さんは、大阪のクラフトビール「箕面ビール」を取り扱っているお店です。「ビールはこういう味」と、自分が持っていた固定概念が打ち破られたことが衝撃で。キリンやサッポロといった大手メーカーのイメージしかなかったけど、クラフトビールにはたくさんの種類があることをここで知りました。そこから、いろんなお店でいろんな種類のクラフトビールを飲むことが楽しみになりました。

—— でも、コロナ禍に入ってクラフトビールが飲める機会が減ってしまった。
そうなんです。でも当時、アルコール類を提供できるお店が減っていたにも関わらず、不思議なことに、クラフトビールのつくり手は増え続けていたんです。
その状況を見たときに、つくり手だけでなく「売り手」も増えないと、日本でクラフトビールの文化が続いていかないんじゃないかなと思って。私自身も、クラフトビールをつくることよりも、「クラフトビールをたくさん飲める環境をつくりたい!」という思いがあった。それに、年齢的にもこのまま伸び悩むより、失敗してもいいからチャレンジしてみたいと思った。だから、会社を辞めてお店を開くことを決意しました。
NEKKO OKAZAKIとの出会い
—— NEKKO OKAZAKIとの出会いは?
お店を持つ前の2021年頃、籠田公園すぐ近くのフレンチ「小料理屋écumer」さんを間借りしてポップアップ営業をしていたことがありました。そのときに、studio36 一級建築士事務所(以降:studio36)共同代表の畑克敏さんを紹介してもらったんです。
そのときに、studio36がこれから設計を担当する「NEKKO OKAZAKI」のことを教えてもらいました。NEKKO OKAZAKIは、中央緑道沿いのNTT西日本岡崎ビルのオフィスだった1階を、オフィス機能を上の階に移して、1階をまちに開かれた場にしていこうというプロジェクトです。
NEKKO OKAZAKI内のテナントを募集していると聞いて「クラフトビールのお店をやりたい」とプレゼンをして、ここにお店を開くことが決まりました。
—— このエリアは、いい飲み屋はあるんですが夜は比較的静かですよね。この場所で開業することに、不安はなかったのでしょうか?
東岡崎駅周辺はチェーンの居酒屋が多いのに対して、乙川よりも北側のこのあたりは個人でお店をやられている方がほとんど。クラフトビールは一般的なビールより価格帯が高いので、駅周辺でお店を開くと他店と比較されて「高い」と思われながらやっていくのはしんどいなと思って。
それに、個人的にも小さな飲み屋があちこちにあるこのエリアで飲むのが好きだったんです。難しい立地だとは思うけど、自分らしいお店の営業スタイル的にはここでやるのがいいだろうと思いました。

お店のかたちを決める
ボトルショップという選択
—— そこからお店づくりが動いていったんですね。
クラフトビールを楽しむ文化をつくるために、お店へ飲みにいくだけでなく、家に持ち帰って楽しむ選択もできるようにしたくて、いわゆる角打ちスタイルのお店をつくることが目標でした。なので、飲食店ではなく、クラフトビールのボトルショップと、少しだけ軽食やおつまみを提供するカジュアルなお店のスタイルにしました。
—— なるほど。だからこのスタイルなんですね。ちなみに、開業資金はどうされたのですか?
貯金と、銀行から借りたお金を開業資金にしました。
周囲から、「続けるのが難しいんじゃないか」と言われてました。小売業がメインの角打ちは、一般的な飲食店ほど利益率がないので。だから、あまりお金をかけずに始めようと思いました。いい車を一台買うぐらいの金額でスタートして、うまくいかなかったら廃車になったと思って、また頑張って働けばいいかと。
内装は、studio36の皆さんと相談しながら進めました。費用を安くするために壁を自分で塗ったり、最初は装飾もあまりつけずシンプルな状態にしたりして。そして2022年7月、「挨拶のようにクラフトビールに対して親しみを持ってほしい」と思い、スペイン語で「また明日」という意味の「Hasta mañana」として、オープンしました。


ニッチだけど、
愛してくれるお客さんがいる
——オープンして4年、実際どうですか?
東岡崎駅から歩いてくるには乙川を渡らなきゃいけないし、夜は20時、21時ぐらいには街灯が消灯して真っ暗になっちゃうし。通行人がふらっと寄ることよりも、調べて来てくれる人がほとんどですね。すごくニッチな世界で商売をしているなと思っています。
——お店を始めてよかったと感じる瞬間はありますか?
お客さんが「このお店があってよかった」と喜んでくれるときです。
日常の中で頑張ったご褒美として、クラフトビールを楽しみにしている方がいる。そんなクラフトビールを買える、飲める場所をつくれたことは、お店を始めた理由でもあるので、やっぱり嬉しい。常連さんが飲み仲間を連れてきてくれることも、私が飲み歩いていた時代からの知り合いが来てくれることにも、とても助けられています。
——お店づくりで大事にしていることはありますか?
「お客さんと話すこと」を大事にしています。ひとりでぼーっと飲んでいるだけだと味気ないかなと思っていて。NEKKO OKAZAKI内には、他店舗と共有の机やベンチがあるので、しっぽり飲みたい方はそちらに。
すぐ近くで飲んでいるお客さんには、なるべく話しかけるようにしています。もしかしたら、私がしゃべりすぎてしまって居づらい思いをしている人もいるかもしれないけど(笑)。
——それはお客さんとして飲み歩いてきた経験から?
そうだと思います。私は飲食店経営の経験者でもないし、料理人でもない。不器用だから、口を動かしながら手を動かすことはできない。でも、お客さんにとって、気を張らずにいられる場所にしたいなと思っています。

緑道ビアガーデンへの思い
まちとして盛り上がるために
——ほぼ毎月、店舗前の中央緑道で、緑道ビアガーデンを主催されていますよね。
ここにお店を開くことが決まったときから、中央緑道で緑道ビアガーデンを開きたいなと思っていました。せっかく綺麗に整備されているのに、あんまり使用されていなかったのもあって。
近所の「小料理屋écumer」さんや「154」さん、市内東部の中園町に店舗を構える、お菓子とお酒の「germer」さん、お隣の安城市で育てたハーブを使った飲食やプロダクトを提供する「HAPY AGE FARM」さんをメインに出店してもらっています。
このエリア、まちとしての一体感があんまりないなと感じていて。商店街ではないので、お店とお店の距離があって、お店同士でお客さんを共有しにくいというか。だから、まちとしてイベントをやっているよ! というのを伝えたくて。
——まちに対する思いもあったのですね。
私だけでなく、このエリアを盛り上げようとしている人がいることは嬉しいです。ただ、方向性は大事だなと思っていて。
外から来た方が、このエリアでイベントを開いたり出店したりして稼ぐことも大事なことだと思います。でも、まちが盛り上がるためには、それだけでは足りない。イベントがあってまちに人が増えて、その人たちがまちのお店も利用する。そうやって、ここで商いをしている人たちも巻き込まれて、相乗効果が生まれることも大事だと私は考えています。

これからのこと
——今後の展望は?
今の収益的には、自分一人が生活していけるぐらい。でも、余裕があるわけではないんですよね。生活をかけて働いてくれる人も雇えたらいいなと思っているので、売上もきちんとつくっていきたいですね。もっとお客さんが増えるように、お店を飲み歩く文化もクラフトビールを楽しむ文化もつくらないといけない。
—— 夜がもっと賑やかなまちになるといいですよね。
そうですね。クラフトビールというカルチャーが、生活の近いところにあり続けてほしいという気持ちは変わらないので、お店を始めた当初から変わっていません。このスタイルでクラフトビールを販売するお店を、私が続けることができたらあとに続く人も増えていくかもしれない。だから、お店が続いていくようにしたい。これからも、来てくれるお客さんと一緒にクラフトビールを楽しんでいきたいです。
——今日はありがとうございました。
ありがとうございました。

岡田桃子
1990年、岡崎市生まれ。市内の短大を卒業後、アパレル会社や事務職を経て、2022年に中央緑道沿いの複合施設「NEKKO OKAZAKI」内にクラフトビールボトルショップ「Hasta mañana!(アスタマニャーナ)」をオープン。「クラフトビールというカルチャーを、生活に近い場所に」という思いから、国内外のクラフトビールを取り扱いながら、月に一度の中央緑道での緑道ビアガーデンも主催。まちで飲み歩く文化づくりにも尽力している。
<Hasta mañana!>
Instagram:https://www.instagram.com/hastamanana_booze/
撮影(特記なき場合):Okazaki Micro Hotel ANGLE
取材・執筆:平良涼花
平良涼花 / Okazaki Micro Hotel ANGLE マネージャー
2002年生まれ、岡崎市出身。国内を転々とする多拠点生活を経て、地元岡崎市に根付く事業に取り組むため2021年からアングルスタッフに。アングルのコンセプトである「暮らし感光(観光)」をテーマに、イベント企画・運営や広報などを担う。
公開日:2026.08.14

