岡崎の変わるまちなか「QURUWA」と何する?

あの人のトライ:NEWSTAND WOW 長尾 晃久さん

  • 事業を始める

籠田公園のすぐ北側。謎の小窓と巨大なバナナのオブジェに目を奪われた人も多いのではないでしょうか。「NEWSTAND WOW」は2020年にオープンしたバナナジュース屋さんで、そのオーナーである長尾晃久さんの本業はなんとピザ窯職人だといいます。

お店が生まれるまでにどんな経緯があったのか、そして長尾さんのまちに対する思いやこれからの活動について話をお聞きしました。

「NEWSTAND WOW」の外観

工場で働きながら音楽活動にのめり込む日々

岡崎で育ち、QURUWAエリアで青春時代を過ごしてきた長尾さん。中学校卒業後は市外の高校でものづくりを学び、その後岡崎にある自動車系の工場で働きながら土日はDJをしていました。20代前半は夜通し遊ぶ日々でしたが、徐々に健康に意識が向き始めたことやアウトドアに興味を持ち始めたこともあって、日中の屋外フェスやクラフトイベントに行くようになりました。

仕事では手先の器用さを評価され、休日はイベントに足を運ぶなど楽しい日々を送っていた長尾さんですが、20代半ばになってからふと焦りが出てきたと言います。

仲良くしていた友人が結婚して家庭を持ったり、自分で事業を始めたりする中で、自分には工場で働いた経験しかないと思うようになって。充実した人生を送っているつもりだったけど、このままでいいのかなと不安が出てくるようになりました。

そこで思い立って仕事を辞め、以前から好きだったクラフト製作とダンスの仕事を始めるようになりました。生活費を得るために、引越業者でアルバイトをしていた時期もあったと言います。

窯づくりとの出会い

長尾さんは自然を求めて岡崎の額田エリアに遊びに行っていたことをきっかけに、石窯をつくっている工房と出会いました。たびたび足を運んでいたら手伝わないかと声を掛けてもらうようになり、はじめは遊び感覚で家具や石窯づくりを手伝うようになりました。

工房で安定した仕事がもらえる訳ではなく、当時は生活のために石窯づくりとリサイクルショップ、移動販売ピザ屋の三刀流で仕事をしていたそうです。「窯づくりに精を出すほど貧乏になっていったんだよね」と、過去のことを笑って振り返ってくれました。

ピザの移動販売で独立

ピザ屋でも働いていたのは、長尾さんがピザ好きだったことと、よりよい窯をつくるには使い手の立場も知る必要があると考えたから。トリプルワークを続ける中で、長尾さんは収入が不安定な状況を自分で何とかしなくてはと思うようになりました。

本当は窯づくりを本業にしたいと思っていましたが、実績も少なくそれだけでは生計が立てられないと思い、28歳のときにピザの移動販売車で独立することを決心しました。

移動販売の仕事が僕の人生にばっちりはまったんだよね。土日にいろんなクラフトフェアやフェスに仕事で行けるようになって。その当時はおしゃれな移動販売車はほとんどなかったし、ピザ屋で注目してもらうことができました。

ピザの移動販売車でイベントに出店(提供:長尾 晃久さん)

初めての出店は2011年に開催された第1回目の森道市場でした。岡崎のイベントはほとんど行っている自負があったそうですが、新しいイベントが開催されると噂で知って出店することに。2日間でたくさんのピザを売り上げ、その後は以前から付き合いのあった仲間のおかげもあって、いろんな場に出店するようになりました。

過去の森道市場での出店(提供:長尾 晃久さん)

ピザ窯職人の道へ

長尾さんは独立する目標を叶えましたが、その中でも葛藤があったと言います。

ピザの移動販売は順調だったけど、やっぱり窯職人として独立したい気持ちがあって。まずは自分用の窯をつくって、それからは実績づくりのために安い金額でも窯づくりの依頼を受けて経験を積んでいきました。

平日は窯をつくり、土日は知人のイベントにピザ屋として出店し、約1年ほとんど休むことなく働いていたそうです。そしてお金が貯まったタイミングでイタリアにピザの修行に行くことにしました。ピザづくりの腕も上げ、なんと2012年の世界大会で8位に選ばれるほどの実力に……!

イタリアでの修行中の一場面(提供:長尾 晃久さん)

当時窯づくりの仕事はそこまで多くなかったそうですが、世界大会をきっかけにピザ業界のつながりが広がり、徐々に知名度も上がっていきました。口コミで各地から依頼が増えていき、いつの間にかピザを焼いている時間がないほど窯づくりが忙しくなるように。その時期に移動販売車は知人に売却し、長尾さんはついにピザ窯職人としての独立を果たしました。

ピザ窯って1年につくれる数に限りがあるから、本当に自分につくってほしいと思ってくれて価値のわかってくれる人の仕事だけを受けるようにしていました。断ることも多かったから、依頼しても受けてくれるかわからない気難しい人だと思われていたかもしれないね(笑)。

独立当初に作ったピザ窯(提供:長尾 晃久さん)
2023年に製作したミラーボールのような窯(提供:長尾 晃久さん)

QURUWAとの関わり

地元の岡崎で暮らしてきて、「ずっとまちに関わりたい気持ちを持っていた」と言う長尾さん。2015年にその機会が訪れます。岡崎で1回目の「リノベーションスクール」が開催されることになったのです。

長尾さんは参加を続けるうちに、まちの人との繋がりが濃くなっていき、3回目の開催時には参加者のサポートを行うサブユニットマスターを務めることになりました。リノベーションスクールが終わる頃、当時岡崎まち育てセンター・りたのメンバーとしてスクールの運営に関わっていた山田高広さんから誘われて、岡崎に店舗をもつ話が出てきました。

サブユニットマスターを務める長尾さん(提供:長尾 晃久さん)

長尾さんはその時の心境をこう語ります。

当時はまちを自分がよくしなければという使命感があったと思います。若い子が運営をして、人が集まる場所をつくりたかったんですよね。ピザ屋やいろりのあるカフェにするアイデアもあったんですが、契約後に火が使えない物件だということが判明して。
火を使わず若い子でも運営しやすい業態を考えたときに、フレッシュジュース屋さんにすることを思いつきました。今思えばもっといろんな案があったかもしれないけど、僕には本業のピザ窯づくりの仕事もあったから、とりあえず最高峰のバナナジュース屋を目指そうと思ってスタートしました。

バナナジュース店「NEWSTAND WOW」オープン

紆余曲折あって2020年に誕生したバナナジュース店「NEWSTAND WOW」。20代のスタッフ2名を迎えて始まりました。長尾さんに店名の由来を教えてもらいました。

「NEWSTAND」は新しくてニュースになるようなまちの立ち寄りどころ、「WOW」は偶然生まれたんだよね。スタッフとして沖縄から移住することになっていた子と車で移動しながら店名を考えている最中、車がぶつかりそうになって咄嗟に出た言葉が「WOW!!」で。店名これでいいんじゃない?いいね!って(笑)。

コロナ禍の2020年7月オープンでしたが一風変わったお店がSNSで話題になり、多い時にはバナナジュースが1日で500杯売れたことも。まちに全国から若者が集まるようになり、大きな反響がありました。

岡崎を拠点に活動する人気ユーチューバーが訪れたことから、「聖地巡礼」のひとつにもなったこの店。誰もが目を奪われる小窓は、実はコロナ対策がきっかけで生まれました。テイクアウト需要に対応するために窓をつける予定だったのですが、工事が間に合わず自分たちで施工をしました。はじめは四角い穴でしたが、改良を重ねて現在の形になっています。

窓枠になる予定だった壁を埋めた跡とピザ窯のような小窓

あまりにもバナナすぎた……」

その後も連日完売となり、店内は一時期1トンのバナナで溢れかえるような事態に。スタッフの家族や友人の手も借り、夜な夜なバナナの皮むきを繰り返す日々。あまりの過酷さに、スタッフが黄色いものが何でもバナナに見えてしまう「黄色いもの恐怖症」になってしまいました。

その頃のWOWには大量のバナナ、バナナアーティストのバナナの皮を使ったアート作品、外に吊り下がるバナナを縛ったネックレス……。言葉では言い表せない凄さがありました。長尾さんは当時のことをこう語ります。

あまりにもバナナすぎた……。こんなバナナな場所は他になかったけど、ここまでバナナが好きではないというか、ずっとバナナは嫌だよね(笑)。

バナナアーティストの作品

やむなく一時休業、そして再オープンへ

思いもよらない状況に直面した長尾さん。コロナ禍の自粛ムードの中、お店を目当てに各地から人が集まることや、駐車場が不足していることなど、向き合わないといけない課題もあり、オープンから4か月後にやむなくお店を一時休業することにしました。

お店がオープンした頃、窯づくりの仕事が忙しくて現場はほとんどスタッフに任せていました。まさかこんなに人が来るとは思っていなかったので、正直驚きました。チャレンジという点で見るとよかったけど、自分にはまだ実力が足りなかったと思います。コロナ禍ということもあり特殊な状況下で、できる範囲のことを頑張っていました。

長尾さんは数か月休んだのちにお店をやめようと思っていたそうですが、「今やってないの?」「いつ再開するの?」と求めてくれるお客さんの声もあり、再開することを決めました。2021年3月の再オープン時にはお店をリニューアルしてピザも提供することにしましたが、上手くいかず当初と同じジュース1本のスタイルに戻すことに。今もクラフトコーラを出すなど、試行錯誤をしながらお店を続けています。

左:オレンジクラフトコーラ 右:看板メニューのバナナジュース

「まちの文化度を上げたい 」 長尾さんのこれからの歩み

これまでいろいろな経過がありましたが、こだわりのバナナジュースを求める人やユーチューバーの反響もあって、NEWSTAND WOWは若者を中心に多くの人から愛されるお店となっています。しかし、長尾さんは次のステップを考えているそうです。

実は、近々WOWを閉めようと思っています。当初は若者をまちに呼ぶきっかけとしてオープンしました。バナナジュース屋を入り口に間違いなくまちに人が来るようになったけど、ただ人が来たらいい訳ではないとも思っていて。新しいもの、どこにもないものをという気持ちでお店を始めましたが、話題になる一過性のものだと限界があると感じています。

ここで店を開いたことで、まちのことをより深く考えるようになったという長尾さん。だからこそいまの場所でのお店は一旦区切りをつけることにしました。今後お店をどのようにしていくのがベストなのか、終わり方も考え中だそうです。

これからは、経験とノウハウを活かせるピザに関わることに改めて集中していきたいと考えているそうで、WOW近くの物件で不定期でピザのお店もできたらと思っているとか。

まちへの思いを語る長尾さん

新しいものを取り入れていくことも必要なんだけど、暮らす人の生活がよくなっていくこと、まちの文化や技術レベルを上げていくことが大事だなといまは思っています。
ピザ窯づくりを頼んでくれる若い子って、その場所でやっていく覚悟を持っている人が多いんですよね。窯を一生の相棒だと思っているんです。そんな人が自分のまちにいてくれたら嬉しいし、まちのために長く続く店をやってくれる人が増えたらいいなと思っていて。県外でそういう子のお店を立ち上げるサポートをしているので、岡崎でもチャレンジしたい人の後押しができたらいいなと考えています。

真剣にまちと向き合う長尾さんの次なるトライはすでに始まっています。

プロフィール
長尾 晃久
1982年生まれ。子どもの頃から岡崎で暮らす。鉄鋼の仕事を経験したのち、DJやダンサーとしても活動。石窯づくりとの出会いからピザの世界へ。リノベーションスクールに参加したことをきっかけに籠田公園北側でバナナジュース屋「NEWSTAND WOW」をオープン。

文章:菅原春香(Okazaki Micro Hotel ANGLE)、写真(特記なきもの):飯田圭(Okazaki Micro Hotel ANGLE)

公開日:2024.08.01

関連記事