あの人のトライ:F to BREAD 岩片大地さん
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愛知県岡崎市の「変わるまちなか」QURUWAエリアで、日々トライを続ける方々のお話を聞いていくシリーズ「あの人のトライ」。今回登場いただいたのは、ご実家である「ヘアメイクF」の旧店舗があった場所で、2024年にパン屋「F to BREAD」を開業された岩片大地さんです。
F to BREADでは、ハード系のパンをメインに菓子パンから惣菜パンまで幅広く、毎日ガラス越しに約40種類のパンが並びます。2階にはイートインスペースもあり、焼きたてのパンとドリンクをゆっくり楽しむことができます。
20歳まで岡崎で過ごし、県外で修行をしたのち28歳の若さでお店を開業した岩片さん。これまでの経緯や地元でお店を開くこと、今後目指していきたいことについてお話を聞かせていただきました。
聞き手は同じくQURUWAエリアにある「Okazaki Micro Hotel ANGLE(以下:アングル)」スタッフの菅原春香がつとめました。

——アングルの菅原です。普段から休憩時間にパンを買いに行かせていただいたり、開業前に試作されたパンをアングルにもお裾分けいただいたりと、アングルとしてもわたし個人としても岩片さんには何かとお世話になっています。じっくりお話を聞かせていただく機会はこれまでなかったので、今日はとても嬉しいです。改めてよろしくお願いします。
QURUWAエリアで生まれ育った幼少期
——さっそくですが、岩片さんの生まれは岡崎ですか?
本当にここです。小学校4年生までは2軒隣に住んでいました。今のF to BREADがある場所は元々小児科だったところで、その方が辞められるタイミングで父が建物を購入して、家族で住むようになりました。
——本当にこの辺りが地元なんですね!2軒隣の美容室「ヘアメイクF」はお父さんのお店とお聞きしました。
そうなんです。父が2軒隣の建物で美容室を開業をして、そこから移転して今のパン屋がある建物の1階と2階、父が引退してからはスタッフに任せて規模を縮小したので元の2軒隣に戻ったという感じです。僕は20歳までここに住んでいたので、子どもの頃からいつもこの辺で遊んでいました。
——当時のまちの印象や思い出を教えてください。
20年ほど前は今と比べて少し閑散としていました。移住者の方もほとんどいなかったですね。僕は小さい時から家で大人しく過ごしていられるタイプではなく、暇さえあれば外で遊んでいたので近所では有名でした。かなりヤンチャでたまにやりすぎて怒られることもありましたが、母によると当時の近所の方たちは「ああやって外で元気に遊んでいる子どもがまだいるなんて安心する」と言ってくれていたそうです。近所の方たちが温かく見守ってくれていたので、両親も安心して僕を野放しにしていたと聞きました。
——地域で見守られながらのびのび育って来られたんですね。
パン職人を目指したきっかけ
——いつからパンの道を目指そうと思ったんですか?
高2だったと思います。当時は部活漬けでパン屋に行ったこともなかったし、特別パンが好きだったとかではないんですけど、なんとなく職人ってカッコいいなと思っていました。自営業の父親を見てきたから自分の中にサラリーマンのイメージはなくて、勉強もそんなに得意ではなかったし、本当に大した理由はないんですけど人と違う道に行ってみたかったんですよね。
——それでなぜパンだったんですか?
たまたま両親が旅行で岐阜の高山に行って、有名店のパンを買ってきてくれたんです。ちょうどその店のシェフがNHKの「プロフェッショナル」に出ているのを見て、そこで働きたいと思いました。元々厳しい環境には慣れていたし、半端な道には進みたくなかったんでしょうね。
——その後の進路はどうしたんですか?
年に1回、その店のシェフが教えに来てくれるという理由で、名古屋の専門学校のパン科に進学しました。みんなにパンの道に進むって言っちゃったし、自分も頑固なので一度決めたら後に引けない性格で。シェフは実際厳しくて怖いんですけど、職人として本当にカッコいいんですよ。それでシェフに直接「働かせてください」って交渉して。
——すごい行動力!結果はどうだったんですか?
空きがなくて3〜4年待ちって言われて。でも、お願いしてこっそり研修をさせてもらいました。専門学校に内緒だったので、後でめちゃくちゃ怒られたんですけど(笑)。その後、卒業直前まで進路を決めずにふらふらしていたら、「たまたま1枠空いたから、君が本気ならいいよ」ってお店から電話が掛かってきて。「行きます」ってすぐに返事をして、急いで高山に引っ越しました。
——急展開ですね。ちなみに親御さんから美容室を継いでほしいと言われたことはなかったんですか?
父には継がなくていいと言われていましたが、自分でお店を持つことを視野に入れて動いていましたね。パンの道で高山に行くとなった時、親も背中を押してくれました。
大変だった修行の日々と恩人との出会い
——20歳で初めて実家を出て、新しい場所での仕事はどうでしたか?
約6年間、朝から晩までずっと働き詰めでびっくりするくらい厳しかったです。鍛えられていたので身体は大丈夫でしたが、心は何回か折れかけましたね。
——たしかに周りに知り合いもいない環境ですもんね。
遠いから親は気軽に来れないし、友達も全然いなくて。でも高山で暮らし始めて4年目くらいの時に、偶然の出会いがあったんです。
心が折れて仕事を辞めようと思って、ここでの暮らしも最後だし……と飲みに出ました。それまで高山で遊ぶことはなかったので、どこの店に行ったらいいかわからずふらふらしていたら、1軒だけ目が合ってニコっとしてくれる70代くらいの女性がいて。僕、当時は火傷の跡がすごくて表情も暗かったので、心配して話しかけてくれました。地元の方がよく来るお店で、そのママがいろんな人と繋いでくれたし、可愛がっていろんなお店に連れて行ってくれて、高山での暮らしが急に楽しくなりました。
辞めようと思っていたけど、高山から離れるのがもったいないと思うようになって、その後も2年半ほど仕事を続けることができました。あの時ママに出会っていなかったら、今頃パン屋の仕事も続けていなかったと思います。その後も仲良くしていて、僕の結婚式にも招待して来てもらいました。

——恩人との出会いがあったんですね!何が理由で高山の生活に区切りをつけたんですか?
最初にいたお店で全部のポジションを経験しようと思ったら10年かかると言われていました。父と27歳で独立することを約束していたので、当時24〜25歳で時間がないと焦っていて。高山にいたい気持ちもあって葛藤したんですけど、10年同じお店にいるよりも違うところで経験を積みたいと思って辞めることにしました。
——悩んで決断されたんですね。27歳で独立するという理由はなんだったんですか?
父が27歳で独立したので、なんとなくその年かなと。当時はお店で上から3番目くらいのポジションになっていたんですが辞めると伝えて、そこから3ヶ月は仕事を続けながら次のお店を探していました。僕はサワードゥというパンをつくりたくて、いろいろ調べていたら大阪のお店が自分が理想とするカッコいいパンをつくっていることがわかりました。
大阪での修行、紆余曲折を経て独立へ
——次のお店はすぐに入れましたか?
大阪の店にも直接働きたいと伝えに行ったんですが、3年待ちと言われて。そうしている間に退職の時期が来てしまったので、高山の家を引き払って岡崎に戻ることにしました。岡崎に帰った頃にまた「たまたま空きが出たから、本気ならいいよ」って電話が来て。
——またもや。岩片さんは何か持っていますね……!
そこから急いで家を探して、梅田から徒歩10分のところに家を借りました。当時は25歳でしたが、都会なんて名古屋くらいしか行ったことがなくて、初めての大都会でした。
——次のお店はどうでしたか?
めちゃくちゃ厳しかったですけど、たくさん勉強させてもらいました。高山の時はいつも大変で波がなかったんですけど、大阪の店はイベントが多かったし、ホテルやレストランへの卸も多かったので、大変な日と楽な日の波がありました。でも仲間と一緒に楽しく働いていましたね。

——そのお店を辞めたのは独立のタイミングですか?
実は独立するよりも前に精神的に辛くなってしまって。シェフも期待してくれていましたが、逃げるように辞めてしまったんです。その後は愛知に戻って、日進市のパン屋さんで1年ほどアルバイトをしていました。そこで妻とも出会ったんですが、会社の状況もあって2人とも同時に職を失ってしまって。その時、妻のお腹に子どもがいたので、もうこれは開業するしかないと思いました。
——その状況で開業を決意されたんですね。お店を持つのは岡崎でと決めていたんですか?
そうです。僕が高山にいる間に父が美容室を引退して5〜6年くらい空き店舗になっていたので、実家で開業しようと決めていました。
28歳、生まれ育ったまちでパン屋を開業
——開業したのは何歳だったんですか?
28歳です。予定より1年遅れてしまいましたが、2023年の秋に岡崎に戻って開業準備を始めました。9月21日に無職になって、父の美容院の開業日と合わせて2024年の9月20日にF to BREADをオープンしました。

——ちょうど1年後に開業されたんですね。店名の由来はなんですか?
父がつけた美容室の名前から来ています。父はわかりやすさを重視して、「ヘアメイクF(エフ)」というシンプルな名前をつけました。「F」はFamilyとかFriendとかFamous、Fantasticとかポジティブな言葉の頭文字に多いんです。
パン屋の名前は横文字で読むのが難しいところもあるじゃないですか。発酵を意味する「Fermentation(ファーマテーション)」も、小麦粉の「Flour(フラワー)」も「F」から始まるんですよね。それで「F to BREAD」という店名にしました。
——親御さんから継いだ名前にパン屋の文脈も掛け合わされているんですね。
お店を継げない分、名前は継ぐって決めていて。父は今パン屋のスタッフとして働いてくれています。
——自分のお店を持ってみてどうですか?
やっぱり自分のパンを食べて美味しいと言ってもらえると嬉しいですね。たくさんの人がワイワイ働いてくれること、パン屋を始めたことで人と繋がれることも嬉しいなと思います。
自分でお店をするのは大変ですけど、それまではずっとシェフの顔色を見ながら働いてきたので、雇われている時のようなストレスはなくなりました。
あと、地元でお店をできるって本当にいいですね。僕は子どもの頃にわんぱく坊主として有名だったので、そんな子が開業したってみんな来てくれて。幼馴染の家族が買いに来てくれることもあります。

初めて自分で店を持つ大変さ
——お店を始めて苦労したことはありますか?
特に苦労しているのは「人」ですね。僕が人の上に立ったことがない状態で一番上になったし、厳しい環境で修行をしてきたので周りのスタッフとは感覚が違うんですよね。長時間労働もやろうと思えばできてしまうんですけど、それを続けるときっとどこかで折れて続かなくなっちゃうし、スタッフも付いて来れなくなってしまうと思います。自分の中に染み付いた当たり前を取り払うことにけっこう苦労しています。
——ずっと厳しい環境にいたんですもんね。スタッフさんは今何人いますか?
パート・アルバイトが多いですが、全部で18人います。子育て中の方も働きやすい職場を心掛けているので、社員も主婦の方が多いです。父の美容室の元スタッフやお客さん、近所の人とか、中には自分の同級生も働いてくれています。「パン屋で働く」って修行みたいな側面もありますけど、僕はパンに関わりたい人が楽しく学びながら働ける環境をつくっていきたいなと思っています。
——1年弱ですでに18人も!その規模感は当初から想定していたんですか?
してないです(笑)。僕と妻とあとひとりいたらいいかなと思っていたんですけど、いざ店舗ができ上がってみたら図面で想像していたよりもかなり広くて。お店や労働環境を整えるために人を採用していったら、どんどん人数が増えていきました。僕は経営と人を育てることに関してはど素人なので、40年近く店をやってきた父に教えてもらいながら何とかやっています。
——お父さんともいい関係性でお仕事をされているんですね。ほかに大変だったことはありますか?
これまで修行してきた2店舗は超有名店なんですよ。そこで働いたことで肩書きはつきましたが、販売員と焼くことしか経験しなかったので、実際に一からパンをつくったことがなくて。だいたい修行したお店でレシピを教わって独立することが多いんですけど、僕は途中で辞めてしまったのでそれができなくて。目標だった27歳が近づいてきた時にやばいと思って、アルバイトをしながら独学で勉強を始めました。うちのお店は全部自分でレシピをつくっていますが、それがまず大変でした。

地元・QURUWAエリアで開業するということ
——地元でありつつ、公共空間や個人店の多いQURUWAエリアで開業されて、影響みたいなものはありますか?
お客さんは基本的に近所の方がすごく多いです。籠田公園が近いからか子連れのお客さんも多くて、たまに子育て経験のあるスタッフが代わりに抱っこをしている場面も見かけます。これまで働いてきたお店のお客さんは観光客やビジネスマン、富裕層の方が多かったので、すごく新鮮ですね。
——アングルでも宿泊者の方に朝ごはんの選択肢としてF to BREADさんを紹介させてもらうことが多いですし、お店が暮らしに根付いている感じがします。
そうですね。実は岡崎のまちに溶け込むようなお店にすることを意識しています。パンに詳しい方が来てくれた時に「(過去に修行したお店)っぽくないですね」と言ってくれて嬉しかったんですよね。お店の内装やBGM、スタッフの服装に流行りは取り入れず、あったかい雰囲気に仕上げています。実は店内も自分たちでDIYしたので、よく見たら妻が塗った壁はきれいだし、僕が塗ったところは雑なんです(笑)。
——自分たちでつくった空間だと愛着も湧きますね。お店の青色には理由があるんですか?
青がこの店のチームカラーで。僕がダークネイビーとかフレンチブルーが好きなので、店内のカウンターやロゴはこの色にしました。2階はほとんど手を入れていなくて、カウンターを足して、あとは父がDIYしてくれました。この建物も50年ほどかけて小児科、美容室、パン屋と形を変えて来たんです。


「まちのパン屋」であり続けたい
——F to BREADさんは今や人気店だと思うのですが、開業1年弱でどうやってお店のことを広めていったんですか?
正直何もしてないです。SNSも頑張る気がなくて、いつもふざけたことばかりアップしています。地元のテレビ局から取材に来たいと声を掛けてもらったこともあるんですけど、テレビの影響はすごいので、僕らのやっていきたいことではないと思ってお断りしました。口コミで広がっていくといいなと思っていて、インスタでバズるパン屋ではなく、あくまでも「まちのパン屋」であり続けたいと思っています。
——お店をこの先どんな風にしていきたいなど目標はありますか?
店舗展開は考えていなくて、自分の見える範囲でやっていきたいです。でも応援したい人たちがいるので、そのために有名になりたいという気持ちもあって。
お店で使っている小麦粉は、ご縁のある生産者の方から直接仕入れています。僕たちが生産者や製粉会社を応援したいと思っても、まだまだ小さいパン屋なのでSNSにアップしたところで影響力はないんですよ。「あそこのお店で使っているから」、「あそこの人がいいって言ってるから」って信頼してもらえるように力をつけていきたいなと思います。
——これからパンをどんな人に届けていきたいですか?
僕が得意なのはハード系のパンで、身体に負担の少ないものをつくっています。もちろんどんな人にも食べてほしいんですけど、特に食育として子どもに食べてほしいです。最近は「グルテンフリー」とか「小麦がよくない」とかいろいろ言われていますよね。ちゃんとした材料、製法、手順でつくれば身体に悪くないんだよって伝えていきたいです。誰がつくったのかわかる国産の材料でできたパンを食べて、ファーストフードとはまた違う美味しさを伝えることができれば日本の食文化が豊かになっていくと思っています。
——28歳の若さで開業されて、自分の軸で丁寧にお店づくりをされていることがよくわかりました。これからも地元で愛されるパン屋さんとして続いていくことを応援しています。お話しを聞かせていただき、ありがとうございました!

岩片大地
1996年生まれ。愛知県岡崎市出身。専門学校まで愛知県で過ごし、19歳からパンの道へ進み、岐阜、大阪のお店に計8年ほど勤め2024年に岡崎市東康生の実家でパン屋をオープン。
<F to BREAD>
Instagram https://www.instagram.com/ftobread
撮影(特記なき場合):平良涼花・坂下夕凪・村瀬桃子(Okazaki Micro Hotel ANGLE)
取材・執筆:菅原春香(Okazaki Micro Hotel ANGLE)
福井県出身。大学時代は関西で過ごし、就職を機に愛知県へ。福祉関係の仕事を経て、2024年6月よりOkazaki Micro Hotel ANGLEスタッフ。ライターやイベント企画運営、場づくりなどパラレルワーカーとして働く。
公開日:2025.07.01