あの人のトライ:坂下周平さんと夕凪さん
- 移住する
愛知県岡崎市の「変わるまちなか」QURUWAエリアで、日々トライを続ける方々のお話を聞いていくシリーズ「あの人のトライ」。今回登場いただくのは、2025年2月に夫婦で富山県から岡崎市へ移り住んだ、坂下周平さんと夕凪さんです。
現在ふたりは、QURUWAエリアの中心である籠田公園に面した元婦人服店「BOUTIQUEマルショウ」をリノベーションし、まちに開かれた複合店舗として活用するプロジェクトを進めています。
「移住というより、好きなまちに暮らしに行く感覚で岡崎市に来た」と語る坂下夫婦。建築の仕事を軸に生きてきたふたりが見つけた、新しい暮らしかたについてうかがいました。
聞き手は、ふたりが岡崎のまちに出会うきっかけとなった「Okazaki Micro Hotel ANGLE(以降:アングル)」の飯田圭。記事の構成・執筆はライターの前田智恵美が担当しました。

設計事務所の同期として出会ったふたり
—— まずはふたりの生い立ちからおうかがいします。周平さんは静岡県、夕凪さんは富山県出身ですよね。
周平さん:僕は静岡県浜松市出身です。高校卒業後は愛知県豊田市の愛知工業大学工学部建築学科で建築を学び、2019年から設計事務所で働き始めました。本社は名古屋市でしたが、僕は富山支社の配属になりました。
—— 建築の道に進んだきっかけは?
周平さん:最初は情報学部への進学を目指していたんです。高校入学の頃にスマートフォンが登場して、アプリ開発に興味を持ちました。でも大学受験直前に、偶然母のノートを見つけて……。
—— どんなノートだったんですか?
周平さん:実家の建て替えプランが書いてありました。母はハウスメーカー勤務の経験があり、自分の理想の間取りを考えていたようで。そのノートを見ながら母と話すうちに「建築って面白い!」と感じて、「いつか自分で実家を建て替えたい」という夢ができました。それで最終的に建築学科へ進むことを決めました。

—— 素敵なきっかけですね。では、夕凪さんは?
夕凪さん:私は富山県射水(いみず)市という港町で生まれました。子どものころからものづくりが好きで、工作やお菓子づくり、裁縫など、とにかく手を動かして何かをつくって遊んでいました。幼少期からずっとデザイナーになることが夢で、高校3年生のときにはファッションかジュエリーのデザインの道に進もうと思ったんですけど……。
—— 当時は意外にも、ギャルだったとか。
夕凪さん:はい(笑)。流行りのものを身につけたり、派手な服装や髪型をするのが好きでした。でも、ある日数学の先生に「ファッションで食べていける人はほんのひと握り。現実を見なさい」って言われて。
—— ええ!
夕凪さん:「建築もデザインの一種だよ」と勧められて、建築学科のある大学のオープンキャンパスに行ってみました。そこで初めて建築の世界を知って、「建物をつくるって、すごい仕事だ!」と感動したんです。
それで、建築と美術を両方学べる新潟県の長岡造形大学造形学部建築・環境デザイン学科に進学しました。卒業後は、夫と同じ設計事務所に同期入社して、地元・富山支社に配属されました。

仕事のやりがいは大きいけど
ワークライフバランスは悪かった
—— 同じ会社の同期だったんですね。当時はどんな仕事をしていたんですか?
夕凪さん:私は設計士、彼は施工監督として働いていました。私たちが勤めていた会社では、設計士が営業と設計の両方を担当していたので、責任は重いけれど、自由度が高くて、やりがいも大きかったです。
周平さん:僕は施工監督として、工事の着手から引き渡し、メンテナンスまでを一貫して担当していました。
夕凪さん:私たちは建築士の資格取得のための勉強も並行していたので、週2日の休みがあっても、1日は勉強、もう1日は持ち帰りの仕事を進める、みたいな生活でした。みんなそれが当たり前の環境でしたね。
—— 忙しそうですね。
周平さん:正直、ワークライフバランスは良くなかったよね。
夕凪さん:がんばればがんばった分、お客さまに還元できると思うと、ついやりたくなってしまって。本当に仕事中心の生活でした。だから結婚するときにも「私は仕事を捨てられないし、家事も全部はできないよ」って伝えていたよね。


家づくりを通して
古いモノが残り続ける価値を実感
—— おふたりが結婚したのはいつですか?
夕凪さん:入籍が2023年10月で、結婚式は翌年11月に挙げました。
—— その結婚式が、大きな転機になったんですよね。
周平さん:はい。彼女は富山県、僕は静岡県出身で、友人も全国に点々としているので、最初はちょうど中間地点でアクセスのいい名古屋駅周辺で結婚式を挙げようと思っていたんです。式のコンセプトは、「大正ロマン」というか、和に少し洋が混じった時代の雰囲気を表現したくて。その世界観が表現できる会場を探しました。
—— どうしてそのコンセプトに?
夕凪さん:私たちはもともと古いものが好きなんです。富山県でも、築60年くらいの古民家に住んでいました。
周平さん:仕事を通して、建築素材の経年変化や、ヴィンテージ家具などの時を経たモノの美しさを知って、「古いモノが残り続ける価値」を改めて実感していた時期でもありました。お互いの描く世界観は一致していたので、すぐに意見がまとまりましたね。
でも、名古屋駅周辺では思うような会場が見つからなくて。範囲を広げて、「古民家 結婚式 愛知」で検索したときに、偶然「Wedding Lapple」さんの記事を見つけました。
—— Wedding Lappleさんには僕も結婚式でお世話になりました。
周平さん:Wedding Lappleさんのホームページを見て自分たちと結婚式に対する考え方が似ているなと感じ、相談に行きました。そこで紹介されたのが、愛知県新城市の山奥にある古民家です。
人生を変えた、
新城の古民家での結婚式
—— アクセスの良い名古屋から一転、山の中へ。
周平さん:そうなんです。でも見学させてもらったら、「もう帰りたくない」って感じるくらい、すごく良くて。「絶対にここで結婚式を挙げたい」と思いました。海外旅行が好きなおふたりがオーナーをされていて、旅先から買い付けてきたインテリアも素敵でした。建物や環境も理想的でしたが、それ以上にオーナーのおふたりが本当に素敵な方で。
夕凪さん:オーナーさんたちも建築関係のお仕事をされていたこともあり、初回の顔合わせから話が盛り上がりました。でも、富山県から車で約4時間半、最寄りのJR豊橋駅からも車で約1時間かかる立地なので、当初の予定と違ってアクセスは決して良くない。富山県に住む家族や友人の負担を考えて、かなり迷いました。
周平さん:最後まで迷っていたよね。でも「遠くまで来たことを忘れるぐらい、いい結婚式ができたら最高じゃない?」と前向きに考えました。
夕凪さん:最終的な決め手になったのは、やっぱり人の魅力でした。オーナーさんたちが本当に暖かくて、「結婚式が終わっても、第二の実家だと思っていつでも泊まりにおいで」と言ってくださって。結婚式の前後合わせて、もう10回くらい遊びに行っています。

—— 結婚式を通じて、どんな変化がありましたか?
夕凪さん:それまで仕事ばかりしていたので、会社の価値観が「普通」の世界で生きてきました。でも結婚式の準備を通して会社以外の人たちと深く話す機会に恵まれて、「こんな世界もあるんだ」と光が差したように感じたんです。
周平さん:その影響もあって、結婚式を終えた2024年11月頃から「自分たちが本当にやりたいと思うことに挑戦したい」という思いが強まりました。オーナーさんたちも「君たちが新城市に来てくれたらうれしい」と声をかけてくださったので、「彼らの近くで、今までと違うことをしてみたい」と考えるようになりました。
—— ということは、最初は新城市に住もうと思っていたんですか?
周平さん:そうなんです。でも、新城市ではなかなかいいご縁がなくて。周辺の三河地域や瀬戸市あたりにまで範囲を広げて、仕事や住む場所を探すことにしました。
夕凪さん:私はもともとひとつの会社にとどまらず、いろいろな経験をして視野を広げたいと思っていたので、2024年6月に退職。結婚式の準備と並行して、転職活動をしていました。
岡崎のまちの距離感が
新鮮で居心地よく感じた
—— アングルを知ったきっかけは?
夕凪さん:私は富山県氷見市にある「HOUSEHOLD」という宿が大好きで、何度もカフェや宿泊で利用していました。「ここで働かせてもらえませんか」とお願いしたこともあるんですが、タイミングが合わず。そのとき、雰囲気が近い宿として、アングルを紹介してもらいました。岡崎市と新城市は近いので、結婚式の準備期間中に「行ってみようか」と。
—— 「HOUSEHOLD」で働きたかった理由は?
夕凪さん:いつか独立するなら、小さなホテルと設計事務所をやりたいと思っていたんです。私、宿は「まちの印象を変える場所」だと思っていて。宿での過ごしかた次第で、まちの印象も変わるじゃないですか。私は建築士なので、その「場」をつくる人になりたかったんです。だから、新城市から範囲を広げてみたときに「アングルがあるじゃん!」って。
—— それでDMをくれたんですね。
夕凪さん:はい。最初は普通にお客さんとして宿泊しましたが、結婚式の後、本格的に移住を考え始めたころにあらためて「採用募集してませんか?」と圭さんにDMを送りました。とにかく熱意を伝えましたね(笑)。
—— そのときは募集していなかったけど、とりあえず会ってみることになって。たわいもない話をしたような。
夕凪さん:岡崎市のことをたくさん教えてくださって、まち案内をしていただきました。

—— そうだ。めっちゃ案内した(笑)。
夕凪さん:それがすごく良かったんです。老舗の喫茶店やご飯屋さんを一緒に巡ったんですが、圭さんはどのお店でも「圭くん!」って声を掛けられていて。まちを歩いてると、向こうから知り合いが来て「おー」みたいな。その光景が印象的で、居心地よく感じました。
周平さん:当時、僕らはご近所付き合いの少ない環境で生きていたので、岡崎のまちの、ご近所さん同士がつながって生活している感じがとても新鮮でした。
「自分たちもその環境に身を置けたらいいな」というのが、岡崎市を選んだ大きな理由の一つです。あとは知らない土地なのに既にコミュニティができ始めていたこと。横のつながりが強くて、すごいスピードで人との縁が広がっていくように感じました。
誰かの「やりたい」を否定しない
—— たとえばどんなふうに?
夕凪さん:岡崎市への移住を本気で考え始めたころ、圭さんをはじめとしたこのまちの方が「面白い人がいるから会ってみたら?」と、studio36一級建築士事務所の畑さんや、東家のご夫婦など、いろいろな方を紹介してくれました。
周平さん:さらに畑さんから「リノベーションスクールに来てみない?」と勧めていただき、2025年1月に開催された「令和6年度QURUWA事業リノベーションスクール」の公開プレゼンテーションを見に行きました。
※リノベーションスクール:QURUWA地区でまちと関わりながらビジネスを立ち上げたい事業者を対象にした、行政と地域が伴走する実践型のスクール
—— リノベーションスクールは僕も2017年に個人で、そして2022年に事業者として参加しました。(詳しくはこちら)
周平さん:そこで同世代や少し上の世代の人たちがチャレンジしている姿を見て、「僕らもこれから10年、15年先を見据えて、いろいろ挑戦できるかもしれない」とワクワクしました。
夕凪さん:誰かの「やりたい」という気持ちを否定しない雰囲気も、私たちにとって新鮮でした。会社では新しい提案をしても、いろいろな事情で「ダメ」って言われることが多かった。でも岡崎のまちでは、大人たちが本気でやりたいことを楽しそうに発表して、それを行政の方や周りの人たちが前向きに支えている。そのオープンな雰囲気がすごく良かったです。
ふたりが岡崎のまちで見つけた、
それぞれの働きかた
—— そして翌月の2月にはもう岡崎市へ引っ越し。スピード感がすごいですね。
夕凪さん:はい。実は結構、焦りもありました。私は2024年6月に退職して以降、前職からの委託で設計業務を続けながら転職活動をしていましたが、人生の方向性が定まらない不安があって。
周平さん:僕はもともと何でも「なんとかなる」というか「なんとかする」と思うタイプなので、わりと楽観的でした。結婚式を決めるときもそうでしたが、大きな決断を強いられるときは、いつもその精神です。気負い過ぎてしまうと決断できないので。
—— 金銭的な余裕はありましたか?
周平さん:それは全然ないんですけど(笑)。でも、これまでの仕事で培った経験が他社でも通用する自信はありました。「どこかしらの会社はきっと拾ってくれるだろう」と。今は夫婦ふたりだけだし、アルバイトでも何でもすれば食べてはいけますから。長い人生で、そういう時期があってもいいかなと思うんです。
—— 確かに。
周平さん:とはいえ、僕は2024年末に会社を辞めて、岡崎市に来る準備をしながら少しずつ就職活動を進めていました。前職は新築がメインだったので、次はリフォームの仕事がしたいと考えていたところ、ご縁があり4月から市内のリフォーム会社で施工監督をしています。
夕凪さん:私はアングルで働きつつ、一級建築士として「凪ノ小居(なぎのおい)」という屋号で設計事務所を立ち上げる決断をしました。Wedding Lappleさんと一緒にイベントの企画運営をしたり、新築戸建て住宅の設計を進めたりしています。

—— 独立を選んだ理由は?
夕凪さん:「挑戦するんだったら若いうちにしてみたほうがいいよ」とか、「岡崎市に来るなら名刺を持ってきて。いろいろ紹介するよ」って言ってくださる方が何人もいたことが、私の背中を押してくれました。
それと、QURUWAエリアでは、女性が活躍している印象があって。仕事も子育てもしながら、自分がいいと思うものを発信し続けている女性にたくさん出会いました。私としては「追いかける背中」がたくさんあるというか。新たな挑戦をするのに、このまちはいい環境だと思ったんです。
—— 「凪ノ小居」という屋号に込めた思いは?
夕凪さん:私は派手なものや奇抜なものより、どこかの片隅にあるひっそりとした小さな場所が好きなんです。だから、凪のように穏やかで、心が落ち着く小さな居場所をつくりたいと思って名付けました。
籠田公園そばで進む
「(仮称)マルショウプロジェクト」
—— 現在進めている「(仮称)マルショウプロジェクト」について教えてください。
夕凪さん:studio36さんとチームを組んで進めているリノベーションプロジェクトです。籠田公園に面した元婦人服店「BOUTIQUEマルショウ」を、まちに開かれた複合店舗として再生します。物件のオーナーさんが今回のプロジェクトに理解のある方で、「若い人を応援したい」「面白いことをしたい」と、物件を貸してくださいました。

—— どんな場所になる予定ですか?
夕凪さん:「残すをつくる」をコンセプトに、人生に関わるモノや記憶を丁寧に残していくための場所にしたいと考えています。1階には、子ども服の古着を扱う「hang secondhand & upcycle」さんや、Wedding Lappleさんのオフィスなどが入居予定です。ワークショップや料理教室なども開催していきたいです。
テナントはまだ募集しているので(2025年10月現在)、コンセプトに共感してくださる方や、少しでも気になる方は、ぜひお声がけいただけたらうれしいです。
—— 2階もリノベーションして、おふたりが住むんですよね。
夕凪さん:はい。築60年ほどの建物なので築年数相応の課題はありますが、自分たちでどこまでリノベーションできるか挑戦中です。キッチンなど設備の一部は1階の入居者さんと共有し、物件の管理をしながら暮らす予定です。
—— オープンはいつ頃になりそうですか?
周平さん:11月下旬くらいにまず1階の店舗部分をオープンさせて、その後に住居部分も完成させたいと思っています。進捗としては、今年の夏ごろから解体のワークショップを開催し、まちのみなさんのお力もお貸りしながら進めてきました。今は解体がひと段落して、これから大工工事や内装工事に取り掛かるところです。


暮らしたいまちで
人生の一部をつくっていく
—— 岡崎市に来て約8か月。暮らしてみてどうですか?
周平さん:大げさかもしれないですが、「人生が180度くらい変わったよね」と、よくふたりで話しています。出会う人の幅が広がり、枝を伸ばすように人生も広がっています。
夕凪さん:刺激が多い分、考えることや悩むことも多いんですが、それだけ恵まれた環境にいるという実感があります。
周平さん:やりたいことや面白いことが多すぎて、体力が追いつかないのが悩みかも(笑)。
—— すごいね(笑)。
夕凪さん:「移住」って、言葉の響きだけだと人生をかけた大きな決断のように聞こえますが、私たちは「好きなまちに暮らしにいく」という感覚なんです。暮らしたいまちで、自分たちの人生の一部をつくっていく。そんな気持ちでいます。
—— では最後に、これからの展望を教えてください。
夕凪さん:私は建築士として、「まちの選択肢のひとつ」になりたいです。まちの風景や素敵なお店を残していくための、新しい可能性を生み出していけたらと思っています。
周平さん:縁もゆかりもないところから岡崎市に来ましたが、そんな僕らが岡崎のまちの人たちにしてもらったもの、受け取ったことを、今度はまた別の誰かにつなげていきたいですね。僕たちならではの視点と建築という手段で、このまちの魅力を伝えて、新しい誰かを引き寄せることができたら一番うれしいです。
—— ありがとうございました。

坂下周平
1996年生まれ、静岡県浜松市出身。愛知工業大学工学部建築学科を卒業後、富山県にて設計事務所の施工管理職として入社し妻の夕凪と出会う。現在は岡崎市内のリフォーム会社へ勤めながら、職務経験を活かし妻の参加プロジェクトを技術的にサポートしている。
坂下夕凪
1996年生まれ、富山県射水市出身。縁があり2025年に富山県から岡崎市に移住。一級建築士として戸建て住宅や店舗の意匠設計をおこないながら、アングルスタッフとしてイベント企画・運営や広報などを担う。
<暮らしの設計室「凪ノ小居」>
インスタグラム:https://www.instagram.com/___naginoi.s_/
<(仮称)マルショウプロジェクト>
インスタグラム:https://www.instagram.com/boutique.marushou/
取材:飯田 圭(Okazaki Micro Hotel ANGLE オーナー)
撮影(特記なき場合)・取材・執筆:前田智恵美(フリーライター)
飯田 圭 / Okazaki Micro Hotel ANGLE オーナー
山梨県笛吹市出身、1989年4月生まれ。都内大学を卒業し、Uターンで地元の地方銀行に勤務。その後、愛知県岡崎市に転職で移住。中小企業支援、コワーキングスペース立ち上げ後、元カメラ屋を改装した、6部屋個室の宿「Okazaki Micro Hotel ANGLE」の運営を軸に、「まちの編集室」を目指す合同会社シテンを経営。
前田智恵美 / フリーライター
1984年生まれ、宮城県石巻市出身で、現在は岡崎在住。ライター。主に雑誌やWEBメディア、書籍で取材執筆・編集協力などの仕事をしている。
公開日:2025.11.01

