あの人のトライ:岡崎カメラ 山本倫子さんと山崎翔子さん

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岡崎の日常的なかけがえのない景色を、写真を通して発信する「岡崎カメラ」というグループがあります。「好きの循環」を大きなコンセプトとして、岡崎が大好きなメンバーが有志で集まってできた共同体のようなグループ。「撮る・撮られる・見る」それぞれに、岡崎の人や場所やコトへの好きが循環することを目指しながら活動しています。

メンバーも多種多様な人が集まっており、今回は、Okazaki Micro Hotel ANGLEのスタッフ山崎翔子さんと、家業である不動産管理会社に勤める山本倫子さんにお話をうかがいます。立場は異なりながら、岡崎への思いが強く、自主制作で岡崎市のオリジナルまち歩きマップを作成するほどまちに対する愛が深い2人です。

山崎さんは、東京で生まれて育ち、東京の美術大学を卒業してから、愛知県の瀬戸市にある陶器会社で企画営業の仕事に就き、結婚を機に岡崎市に引っ越してきました。その後、岡崎市の街中でおこなわれていた様々なまちづくり活動にも関わりつつ、2020年にOkazaki Micro Hotel ANGLEにスタートメンバーとして参画しました。

一方で山本さんは、2016年に、岡崎市の主催するリノベーションスクールに参加したことがきっかけで岡崎のまちづくりに興味を持ったそう。その頃ちょうど家業である不動産管理会社へ転職し、次第にまちと関わりながらQURUWAの動きなどを認知。自分自身まちのことをよく知らないということを実感し、まずは自分で見て知ろうと思い、instagramでまちのことを日々発信しています。

山﨑翔子さん(左)と山本倫子さん(右)

活動を通じて、まちとの関係が紡がれる。

岡崎カメラのはじまりは、岡崎市広報課のシティープロモーションの一環で2018年から2年実施された、地域の魅力を地元の人が見出す「岡崎カメラがっこう」という市民講座。この講座は、いわゆるカメラスキルを学ぶのではなく、カメラをツールにまちを伝えていく、写真家のMOTOKOさんが提唱する「ローカルフォト」の手法に基づいたものでした。

その後、継続して活動したい有志が集まり、「岡崎カメラ」というチームで、まず岡崎の日常を発信することからその活動が始まりました。

岡崎カメラがっこうでの活動の様子

山本さんと山崎さんも、この「岡崎カメラがっこう」から参加しましたが、山本さんは初回のシンポジウムではトークセッションの登壇者に選ばれ、山崎さんはコーディネーターであった写真家のMOTOKOさんから強い思いを聞いて参画し、2回目からは運営側として関わることになったそう。そのまま岡崎カメラのチームの一員となったのは自然の流れだったのかもしれません。

チームとして主動した最初の大きなプロジェクトは、雑誌『OZ Magazine』連載でした。『暮らし観光郵便局』というタイトルで、いわゆる観光スポットではなく暮らしているからこそ伝えられる岡崎の魅力が、読者へ向けた手紙形式で記事になっています。

OZ Magazine掲載店舗への挨拶回り

プロとして取材も写真も文章も書いたことがない人がほとんどで、みんなで苦労はしたけど、その大変さがあったからチーム感が増して、「好きの循環」という理念も自然と生まれました。

そう山崎さんは語ります。また、その他にもまちの人との関係性や心の変化もあったと山本さんは話してくれました。

取材で岡崎市の人やお店などにうかがうことで、まちの人と関係性ができて、よりまちが楽しくなり、お互いに応援をし合うようになりました。翌年には名古屋名鉄百貨店の無印良品で写真展を開催させてもらえたのですが、取材で少しずつまちとの関係性を育んでこれたからこそ、愛おしいと感じた瞬間がより写真で表現できたのだと思います。

まちの店舗取材時の様子
無印良品名古屋名鉄百貨店 「Open MUJI」での写真展示

3歩先の未来を写す、カメラの役割

岡崎カメラの活動の根にあるローカルフォトは、「写真でまちを元気にする」活動で、地域の暮らしに焦点を当て、撮影し、発信する手法。広告で使われるようなパブリックな写真ではなく、家族写真のようなプライベートな写真でもない、そのちょうど中間に位置する、“地域の人と人をつなぐ写真”と定義されています。

だからこそ岡崎カメラも、まちに住み、自分ごととして、日々そこに暮らしているからこその写真を撮り、まちの日常的なかけがえのない景色をだれかに伝えることを大切にしているそうです。

撮るという行為は、その中に好意や敬意が含まれていて、相手にその価値やすばらしさを伝えることができるツールだと思います。その写真を見た人にもまた、撮影した私たちの思いが伝わるのではないかと。まちの人からも、メンバーはプロではないからこそ、技術ではなく思いが表現されることを感じてもらえているんじゃないかと思ってます。

そう山本さんは、岡崎カメラの役割を語ってくれました。また、その上で意識していることを山崎さんは次のように話します。

MOTOKOさんから教えていただいた「3歩先の未来」を思って写真を撮ることを大切にしています。大事にしたい景色や続いて欲しい場所や活動が、楽しそうだったり、関わっている人の顔が見えるようになることで、たくさんの人が共感してくれるようになります。写真は見た人に一瞬でダイレクトに伝わるもの。だからこそ、私たちが感じた思いも、写る方の思いも大切にして写真を撮っています。

メンバーは20代から40代が多く、男女比も半々で、岡崎市外に住む者もいます

まちの記録と記憶を残す、これからの共同体としての在り方

岡崎カメラとして、展示会やまち歩きなどの活動から、徐々にまちの人からも様々な場面で撮影の依頼が少しずつ来るように。そこで活動をする上で「好きの循環」ということに加えて、「まちを残す」という力が写真にはあると思ってきたそう。

変わりゆくまちや店や建物などそこにある多くの人の思いを伝えることも役割としてあるのではないかと思い始めています。「この暮らしが続いてほしい」と未来を思いながらシャッターをきることで、まちにとっての記憶と記録に残すことは自分たちが微力ながらできることですね。

名鉄東岡崎駅の「岡ビル百貨店」の閉業や、龍城温泉という大正時代から続く銭湯の休業などを目の当たりにして、新しいまちの中でそんな役割があると山本さんは話します。

岡ビル百貨店の撮影
岡ビル百貨店にあった洋食屋「こも」へ撮影した写真をプレゼントしに行ったこともあります

また、チームとしても、最初は大きなテーマを与えられて活動を進めてきたところから、メンバーそれぞれ興味のあることを発案。そして、プロジェクトベースで、関わりたい人がゆるく関わるチームで活動をするように変化してきたそうです。

誰がリーダーというわけでなく、ライフステージやいろんな状況の変化でチームメンバーは変わっていくことはあると思うけど、チームの理念や概念は変えずに、共同体のような新しい形のチームになればなればいいと思っています。

その変化を山崎さんはそのように捉えていました。

山本倫子(写真左)
生粋の岡崎市民。大学で建築を学び、卒業制作で岡崎のまちづくりについて研究。工務店勤務を経て、家業の不動産賃貸業で父と仕事をしている。2016年頃からリノベーションスクールをきっかけに岡崎のまちづくりに関わりはじめ、その翌年からInstagram(@michinomachi)で岡崎の愛しい人やお店、出来事を日々投下中。ミチノマチツアーと題したまち歩きや、山崎さんとオリジナルマップの自主制作などを行い、現在は岡崎カメラのメンバーとしても日々岡崎の暮らしを切り取っている。休日は専らカメラと2歳の娘と共にまちを巡っている。

山崎翔子(写真右)
東京都江戸川区出身。東京の美大でデザインを学ぶ。愛知で食器屋の営業、食品会社の商品開発を経て、「Okazaki Micro Hotel ANGLE」のスタッフとして活躍。結婚を機に岡崎に移住。マップを作ったり、菜園をやったり、着物を着たり。日々の暮らしの中で出会えた人だから撮れる、と最近ますます写真が楽しい。その時の空気感や香りや音まで見えるような写真が理想。


岡崎カメラ
『岡崎の「好き」がひろがる!めぐりだす!』
岡崎カメラは、カメラを片手にまちの人と交流を深めながら、愛知県岡崎市での愛しい暮らしを写真を通じて発信するチームです。
lit.link/okazakicamera

文章:飯田圭(Okazaki Micro Hotel ANGLE)

公開日:2022.06.30

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