岡崎の変わるまちなか「QURUWA」と何する?

あの人のトライ:成田モータース 成田翔平さん

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愛知県岡崎市の「変わるまちなか」QURUWAエリアで日々トライを続ける方々のお話を聞いていくシリーズ「あの人のトライ」。今回は、家業である車整備・販売業の成田モータースを継ぎ、新たにレンタカー事業やカーシェアリング事業(以下:カーシェア)を立ち上げた成田翔平さんです。

カーシェアとは、1台の車を複数の人で共有利用するサービス。スマートフォンのアプリで予約から決済まで完結し、24時間いつでも利用できるのが特徴です。

成田さんは、大手自動車企業で4年間勤務した後、2020年に家業に入り現在事業を拡大中。また、岡崎市出身のYouTuberである東海オンエアの動画出演をきっかけに、一般的な車屋の枠にとらわれずに、さまざまなビジネスモデルを展開しています。

高校時代から家業を継ぐことを決めていたという成田さん。 QURUWAエリアでカーシェアがスタートして以来、このまちでより精力的に活動されている姿が印象的です。成田さんはなぜカーシェア事業をこのエリアで始められたのでしょう? 家業や新事業への思い、そしてまちとの関わりについても、お話を聞きました。


聞き手はQURUWAエリアにある「Okazaki Micro Hotel ANGLE」スタッフの平良涼花がつとめました。

——アングルの平良です。成田さんにお話を伺うのは初めてなので、とても楽しみにしていました。改めてよろしくお願いします。

祖父の代から続く家業と、高校時代に決めた継承

——さっそくですが、家業の成田モータースについて教えてください。

成田モータースは祖父の代から続く車屋です。祖父が戦後まもなく始めて、父が25歳頃に継ぎ、僕は兄と一緒に3代目です。岩津町(QURUWAエリアから北に車を30分弱走らせたところにあるエリア)に工場と展示場を構えています。

記憶にないくらい小さな頃から工場に遊びに来ていました。母も祖母も家業に入っていたので、よく工場に連れて来られて。当時事務をしてくれていた女性スタッフは今も70代で働いてくれているんですよ。

——家業を継ごうと思ったのはいつ頃ですか?

高校2年生になる前です。文系か理系かを選択するタイミングで、将来のことを考えました。

——車に興味があったんですか?

それがなかったんですよ。車のおもちゃで遊んだ記憶もありません(笑)。ただ、親の仕事に興味があったので、僕が継がなかったらうちがなくなってしまうことはよくないなと、漠然と思っていました。

——お父さんからアドバイスは?

「自分が歩みたい道があるなら進め、無理して継がなくていい」とずっと言われていました。どれだけ仕事を頑張っても、成果を出さないとお金が入ってこないという自営業ならではのしんどさを、僕に味わってほしくないという父なりの優しさだったのかなと感じています。

幼少期の成田さん(中央)(提供:成田さん)

整備士の資格を取得し大手企業へ

——高校卒業後はどちらに?

岐阜にある中日本自動車短期大学という整備の短大に進学しました。自動車整備士の資格は取っておこうと思ったんです。父も兄もそこに通っていたのが入学の決め手でした。

兄は6歳上で、高校卒業後に進学した文系の大学を退学し、僕の1学年上でこの学校に入り直しました。僕が先に家業を継ぐ方向で動いていたのを見て、感化されたみたいです。

——短大卒業後はすぐに家業へ?

短大で自動車整備士2級を取得して卒業。次の専攻に進学してさらに2年通学し、1級も取りました。そして、2016年に大手自動車メーカーに就職し、アフターサービス関係の部署に配属されました。

サラリーマンを経験しておきたいと思ったんです。家業以外のところで学びたかった。同期が800人ぐらいいる中で、1級整備士の資格を持った人はたった6人。せっかく就職するのなら1番大変そうなところに挑戦してみたいと思ってこの職種を選びました。

サラリーマン時代の成田さん(右)(提供:成田さん)

——実際に働いてみてどうでしたか?

会社が大きすぎて、ひとつひとつの仕事の責任が重かったですね。市場で起きている様々な不具合の報告を迅速に集めて設計や開発部門に伝え、改善対策を早く実行する業務を担当していました。

あとは、不具合が起きている車をディーラーでも直せない場合に、その車に異常があるかどうかを最終的にジャッジするのがメーカー側の役割で、ディーラーからの相談を受ける窓口が僕でした。ことの重さに精神的にとてもしんどい時期もありました……。

でも、今振り返ると、サラリーマンの経験はよかったなと思います。ビジネスマナーも学べたし、仕事の仕方、割り切り方も学べました。悩んでもしょうがないことは悩まない、感情を入れる部分と冷静に判断する部分の使い分けがうまくなりましたね。

4年で退職、ついに家業へ

——会社を辞めようと思ったのはいつですか?

入社する前から3年で辞めようと思っていました。家業に入ると決めていましたから。でも、上司に伝えるのが遅れて4年に延びました(笑)

そのまま勤めていればいい給料がもらえていたと思います。ですが、安定した環境を手放すことへの不安もありませんでしたね。自分で頑張って稼ぎたいという野心が大きかったです。

——そして、ついに念願だった家業に。実際どうでしたか?

とにかく楽しかったです。やってやるぞという気持ちに溢れていたし、好きなことが好きなようにできる環境が嬉しくて。

サラリーマン時代は決裁を取らなきゃいけないのがすごく大変でした。なので、僕の判断で進められるようになったのが大きな違いです。僕は「とりあえずやってみよう」というタイプなので、自営業の方が性に合っているなと感じています。

成田モータースの工場

動画出演がもたらした事業の変化

——成田さんが家業に戻ってから、事業に大きな変化はありましたか?

僕は、東海オンエア(岡崎市出身のYouTuber)と高校の同級生で仲が良くて。彼らのYouTubeに出演し始めたことが転機となって、今の事業にも繋がっています。

車を解体する企画のお手伝いをしたり、メンバーの車をちょっと変わったカスタムをしたり。できることはなんでもやりました(笑)

そして、東海オンエアファンの方にとって、「成田モータース」が身近になっていったんです。それで、オリジナルキーホルダーをつくって工場で販売したところ1日で50個ぐらい売れました。

せっかく来たからと「ついでにオイル交換してほしい」とか「点検もしてもらえますか?」と言ってくださるようになって。500円のワンコイン点検サービスも始めたところ、整備の売り上げは前年比300%になりました。

——レンタカー事業を始めようと思ったのはなぜですか?

東海オンエアのメンバーから「レンタカーやろうよ」と言われたんです。2021年頃でした。でも、東海オンエアに「乗っかってる感」がすごくて。雑にお金を稼ぐことは絶対したくなかったので、なんとなく前向きになれなかったんです。自営業として売り上げをつくりたい気持ちと、僕自身や会社に対する見られ方の中で葛藤がありました。 

——最終的に踏み切った決め手は何だったんですか?

「うちしかないわ」って思ったんです。うち以外の車屋がやったら、それこそ乗っかってるからよくないなって。僕がやることに意味があるんだって決心がつきました。

なので、東海オンエアにゆかりのある車種を用意しています。一般的にレンタカーを借りることってあまり思い出にならないというか、あって当たり前というか。でも、レンタカーを借りること自体も思い出になるようなサービスであれば、それは新しいしおもしろいなと。僕がやる意義を見つけたことで、2023年7月に東岡崎駅の南側で「ナリモレンタカー」をスタートしました。

ナリモレンタカーの店舗

父との信頼関係が支える新事業

——お父さんの反応はどうでしたか?

僕が勝手に銀行ともやりとりを進めていて、もう話がだいぶ進んだときに父にレンタカーを始めることを報告しました。

父は超慎重派なので、僕の詰めが甘い部分を教えてくれたうえで「やりゃいいわ」と言ってくれました。基本的に、これまでの人生で父に「ダメ」って言われたことはあまりないですね。僕のやりたいことを尊重してくれます。優しい父です。

——実際にレンタカーが始まってみて、どうでしたか?

売り上げ的には申し分ないです。レンタカー自体はそんなに儲からないんですが、会社としての余裕ができるという点で意味がありました。

車屋って黒字倒産することがよくあるんですよ。というのも、仕入れや整備の費用は先に現金で支払わなきゃいけないのに、売り上げの入金は後から入ってくることが多い。黒字だけどキャッシュがなくて資金繰りが大変、というのはよくある話です。レンタカーを始めたことで、事業の柱が1つ増えたのが大きなメリットでした。

——新事業に取り組まれている間、成田モータースの主事業はどうされているんですか?

僕ももちろん工場でも働いていますが、父と兄、そして昔から働いてくれているスタッフの皆さんが現場をしっかりと支えてくれています。新しいことに挑戦できるのも、みんながいてくれるからこそ。周りに感謝しながら進めています。

成田モータースの展示場

リノスクでの出会いとカーシェア事業

岡崎市では、QURUWA地区でまちと積極的に関わりながらビジネスや事業をしたいと考える事業者を対象に、行政と地域が伴走する「リノベーションスクール(以下:リノスク)」を開催しています。(昨年度のレポートはこちらから

成田さんは、2024年度のリノスクに参加されました。

——カーシェアを検討されたタイミングでリノスクへ?

実は、カーシェアはレンタカーを始める前から構想していました。レンタカーはどうしても受け付けや貸し出しに人手が必要になってしまう。なので、スマホ1つあれば車を借りられる、カーシェアの便利さに惹かれました。

レンタカーを2〜3年やってみてからカーシェアを始めようかなと考えていて、ちょうどその段階で、岡崎市役所QURUWA戦略課の中川さんからお誘いのメッセージをいただき、参加することにしました。

——リノスクに参加してどうでしたか?

めちゃくちゃ楽しかったです。参加者の皆さんそれぞれ別の事業に取り組んでいるけど、岡崎市が盛り上がってほしいという思いが一緒だったので、話していて楽しかったです。

月1回プレゼンしなきゃいけない場があったので、頑張ってコツコツと進めていました。そのおかげで、1年で準備ができてカーシェアが開始できました。

それと、中川さんをはじめ、行政の皆さんがとても前向きに市の仕事をされていることを知れたのがよかったです。岡崎市出身のひとりとして、なんだか嬉しくなりましたね。

リノスクでのプレゼンの様子(撮影:菅原春香)

カーシェア事業がスタート

2025年6月、「ナリモのカーシェア narimobi」が始動。車の設置場所は、①籠田公園地下駐車場、②ホテルリブマックス岡崎すぐ近く、③以前、あの人のトライでも紹介したはりスポットNUR向かいの駐車場の3か所です。

③の駐車場にて。「narimobi」の看板が目印

——カーシェアの設置場所はどのように決めたんですか?

康生通り(QURUWAエリアを東西に走る道路)周辺に設置したいと考えていました。岡崎城や籠田公園など主要なスポットが点在しているので。東岡崎駅でレンタカーを展開しているからこそ、駅から徒歩15分ほど離れたこのエリアに滞在している方の「ちょっとどこかへ行きたい」というニーズに、カーシェアなら応えられるんじゃないかと。

——ターゲットは観光客ですか?

そうです。地元の皆さんは車を保有している方が多いので、あまり使ってもらえるとは思っていなくて。

地方都市でカーシェアが流行っているケースは、ほとんどないです。観光客向けに展開することで、地方都市の成功事例として一発目になったらおもしろいなと思って、トライしてみてます。

——アングルに宿泊してくださるお客さんも、公共交通機関で来られる方が多いです。そういった方たちが、QURUWAエリア周辺のまち歩きだけでなく、カーシェアの車を30分ほど走らせて自然が豊かな里山に行ったり、市内に点在する個人店を巡ったりして、市全体を楽しんでもらうきっかけになるといいですね。

そうなるとおもしろいですね! 僕の地元である岩津町にも遊びに来てほしいです。ランチでよく行く老舗の定食屋などいいお店がたくさんあるので。あとは、駒立(こまだち)というぶどう畑が多いエリアもおすすめですかね。

地元での思い出を語る成田さん

QURUWAエリアとの関わり

——現在は、期間限定で偶偶(QURUWAエリアの中央緑道沿いにある複合施設)の1階にカーシェアの窓口を構えられていますよね。

夏休みシーズンは人通りが増えると思うので、ここでカーシェアのチラシを配ったり、直接案内をしたりする導線を確保するために構えました。

現状、カーシェアを使うために必要なアプリのダウンロードが利用ハードルになっていると感じます。直接お客さんに声かけをすることが重要だと考えて、地道に広める活動をしています。

——実際にこのエリアで過ごしてみて、まちの印象はどうですか?

アットホームですね。個人商店がいっぱいあるので、まとまりが感じられるというか。ウェルカムに迎えてくれている気がします。

偶偶の外観。道路に面した1階に窓口を設置

——このエリアで事業をする難しさはありますか?

僕の場合は、市外から来る東海オンエアファンの方たちが利用してくれることで事業が成り立っています。これが万が一ぱたんと切れてしまったときにどうなるんだろうという不安はあります。

それと同時に、岡崎市全体も東海オンエアの影響で観光地化している印象があります。それがなくなったときに、観光資源はどう確保するのだろうかと考えてしまうこともあります。

——岡崎市における、観光資源の課題。同じく市外の方をターゲットにして宿を運営している身としては、このまちにしかないお店や人などの魅力が、遊びに来る理由になるといいなと思っています。

そうですね。このまちならではの特色をどれだけ出せるかだと思います。ほかの市町と似たような場所になったって意味がない。今あるものがもっと発信できるといいんじゃないかなとすごく思います。

例えば、岡崎城などをきっかけに岡崎市を知って、僕たちが普段体感している地元の店とか、このローカルな感じを味わってもらえるのもいいですよね。

成田さんがよく行くという、まちのパスタ屋「Baku

今後の目標

——今後の目標を教えてください。

どこにでもある、普通の車屋にはなりたくないです。例えば「移動」をキーワードにするなら、一般的な車のジャンルに囚われないようにしたいです。レンタカー、カーシェア、タクシー、バスなどいろんな可能性があります。同業者と差別化していくことが目標です。

父も66歳になって、ずっと現役で頑張ってきてくれたからこそ早く引退させて休ませてあげたいという気持ちもあります。でも、仕事を完全に辞めちゃったら調子が崩れてしまうかもしれないので、無理なく続けてもらえたらいいですね。

カーシェアは、まずはこのまちに馴染んでくれたらそれでいいかなと。地道にコツコツとやるべきことを一生懸命やっていきたいです。

——カーシェアがこのまちの日常になる日がとても楽しみです。本日はありがとうございました。

ありがとうございました。

成田翔平
1994年愛知県岡崎市生まれ。高校時代に家業を継ぐことを決意し、中日本自動車短期大学で整備士の資格を取得。大手自動車メーカーで4年間勤務後、2020年に成田モータースに入社。2023年にレンタカー事業、2025年にカーシェア事業を開始。

<成田モータース>
HP:https://naritamotors.jp/
インスタグラム:https://www.instagram.com/narita_motors_official/

<ナリモレンタカー>
HP:https://narimo-rentacar.com/

<ナリモのカーシェア narimobi>
HP:https://narimobi.com/

取材・執筆・撮影(特記なき場合):平良涼花

平良涼花 / Okazaki Micro Hotel ANGLE マネージャー

2002年生まれ、岡崎市出身。国内を転々とする多拠点生活を経て、地元岡崎市に根付く事業に取り組むため2021年からアングルスタッフに。アングルのコンセプトである「暮らし感光(観光)」をテーマに、イベント企画・運営や広報などを担う。

公開日:2025.07.30