あの人のトライ:暮らしかた冒険家 伊藤菜衣子さん
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籠田公園の横、自宅の1階に自分たちでDIYをしてスペシャルティコーヒーが楽しめるスタンド「COFFEEと______」が、2022年に完成しました。オーナーは、結婚を機に札幌から岡崎に移住してきた「暮らしかた冒険家」伊藤菜衣子さんです。
伊藤さんは、北海道札幌市で生まれ、神奈川県で育ち、東京・札幌・熊本・岡崎と引っ越しながら、主に広告制作や編集を生業としています。東京での写真家としてキャリアをスタートさせ、現在はクリエイティブディレクションや編集、ウェブ制作、コピーライティング、映画監督など、さまざまな手法で「伝えること」を手がけてきました。そんな伊藤さんのお仕事は、社会環境文化ムーブメント「100万人のキャンドルナイト」をはじめ、坂本龍一さんのソーシャルメディアでの社会実験や、編集と執筆を手がけた書籍『あたらしい家づくりの教科書』と『これからのリノベーション 断熱・気密編』(ともに新建新聞社)など多岐にわたります。
「未来の“ふつう”を今つくる」をモットーに、暮らしにまつわる今までの常識を疑いながら、自分ならどうするかを表現してきた伊藤さんはこう語ります。
「正論や理想論は通らないものである」という諦めが世の中にはあると思うけど、「どうすればできるか考えてみよう!」と思うんです。素晴らしいアイディアなのに、実現できないって諦められない。大学時代から、環境と世界の貧困をなんとかしたいと思って活動をしてきたけど、最近はそれに加えて「自分と向き合ってしあわせに生きていく」が加わっているんです。
各地を引っ越してきて、岡崎でコーヒースタンドを開くまで
その言葉は、伊藤さんの今までの活動ともつながっています。
例えば、2011年に移住した熊本での活動。自分たちの自由にできない高い家賃の賃貸住宅も嫌だし、家を買ってローンも組めない。それでも自分たちの住みたいようにアレンジできる家はないのだろうかと、築100年の廃墟のような民家をセルフリノベーションしました。
そして札幌への移住は、「札幌国際芸術祭2014」でゲストディレクターだった坂本龍一さんに「君たちの暮らしはアートだ」と、その暮らし方を作品として出展してほしいというオファーを受けてのこと。移住して暮らす過程を公開記録するアート作品として、住まい・食べ物・コミュニティ・エネルギーのあり方を模索すべく、築28年の家をオフグリッドを目指してまずは高気密高断熱の家にするリノベーション、物々交換やマイルドな自給自足を試みるシェア畑などを実践しました。
そんな伊藤さんが、なぜ岡崎でコーヒースタンドを始めようと思ったのでしょうか。
このまちには、喫茶店はたくさんあるけれど、朝からやっているコーヒースタンドがないのが不思議だったんです。あとは、一時期Clubhouseが流行ったときに編集者の友人と毎朝30分の何気ない話をしていたのがすごくよかったからですね。東京を離れた2011年から月に4日から7日、東京で仕事して、人に会ってインプットして、家に帰ってきて制作に取り掛かるというルーティーンを過ごしてきました。コロナ禍になってそれができなくなり自分の暮らしの中に閉塞感があったので、そのちょっとした会話があることで、自分の中に新しい風が吹きこんだんです。保育園に子どもを送って、仕事をする間の、朝のこんな時間がすごく大切に思えて、何気ない会話と、美味しいコーヒーが飲めるスタンドがほしいと思ったんです。
「育児と仕事の切り替えに一息つく居場所が欲しかった」と語る伊藤さん。ちょうど「美味しいコーヒーを淹れられるようになりたい」という想いを持つ岡崎のバリスタ志望の方も現れ、友人のバリスタたちも協力してくれることになり、これならお店ができると思ったそう。東京にいると「こういうお店があったらいいな」は自分でやらなくても2-3年後には生まれている感覚があります。だけど、いろいろな地方都市に住んで感じるのは、その流れがとてもゆっくりで競争も起きにくく、トップクオリティのものと出会うのも難しいと感じていた伊藤さんは、「欲しいものは自分たちでつくろう」と、決意したそうです。
岡崎との出会いと移住できると思えた理由
伊藤さんは何度も引越しをした中で、自分がそのまちでうまくいく法則として培ってきたものがあるそうです。それは、人生や暮らしのキーパーソンになるような、気が合う人をそのまちで3人見つけること。そういう人たちを起点に、あとは気の合うお店が3つくらいあれば、自分の生活が成り立つと気付いたそうです。
「東京にいる時だって、人もお店もたくさんあったけど、結局3人と3店舗くらいだったんですよ」と。そもそも札幌から岡崎に越してくることに抵抗はなかったのだろうかと思っていましたが、その話を聞くと確かにと納得してしまいます。そして、岡崎のキーパーソンとの出会いを伊藤さんはこのように話してくれました。
2017年に渋谷ヒカリエのd47ミュージアムで開催された「NIPPONの47人 これからの暮らしかた-Off-Grid Life-」のキュレーションを手がけたときに、愛知県代表に「森、道、市場」を主宰する岩瀬くんを選出させてもらって仲良くなったんです。結婚を検討するタイミングで、「愛知に住みませんか」と言われ、すぐに岩瀬くんの住む岡崎のことを思い出しました。そこから、衣食住まちづくりなどに関わるいろいろな方との出会いがあって、今日にいたります。
実は、岡崎のことは2015年の段階で知るきっかけがあったと伊藤さんは語ります。
友人でもある「らいおん建築事務所」代表の嶋田洋平さんが書いた本『ほしい暮らしは自分でつくる—ぼくらのリノベーションまちづくり』出版記念トークライブで「藤村龍至建築設計事務所(現RFA)」代表の藤村さんと対談する姿をYoutubeで配信で見て、「面白いことをするまちがある。これから何かがはじまるんだ」と思っていたそう。それが後に岡崎市のことだとわかり気になっていたと伊藤さんは語ります。そして実際に岡崎に住んでみると、橋や緑道や公園といった暮しが豊かになるものをつくっているとわかり、都市開発の観点からも、とても感動したそうです。
例えば、橋を歩くと年配の方がおにぎりを持ち寄っておしゃべりしていたり、若い子がSNSの撮影をしていたり、サラリーマンが昼寝していたり。子どもと過ごしても気持ちがいい。こんなにも全方位に気が配られた開発ってあるんだと思ったんです。公園を眺めていても、ラジオ体操やごまんぞく体操をしていたり。今まで住んだ他のまちでは見えなかった、自分の老後をイメージしやすいまちだと思いました。インフラだけでなくソフト面でも、新しいお店が増えたり、ビジネスが始まったりするきっかけになる、リノベーションまちづくりをしてきたことも知っています。その両方が相乗効果になっていて、いいなと思ったんです。
人とものとことが出会える、心地よい暮らしを模索する場所に
「COFFEEと______」のアンダーバーの部分には、全国にいる伊藤さんの仲間たちがつくるおいしいものや楽しいことが入るそう。この場所で、新たな出会いや気づきがたくさんありそうな予感がします。伊藤さんに今後の展望をうかがいました。
素敵なものづくりをする人と、近くに住む人たちが出会える場所になったらいいなと思っています。例えば友人の木工作家とは、子ども向けのモビールワークショップをしようと話しているんですよ。すでに自宅は、高気密・高断熱住宅でエネルギー負荷は低くなっていますが、さらには街中でどうしたら環境負荷少なく自然に生きていけるか、ゴミ問題と向き合うかも考え、工事の廃材もあるし、コーヒーの出涸らしの活用もできるから、コンポストを自作する予定です。店舗である小屋は、乳飲み子を抱えながらも3ヶ月のDIYで完成させたから、久々の冒険でした。「暮らしかた冒険家」の肩書き通り、ここで「私なりの心地よい暮らしとは何か」を探してつくっていきたいと思っています。
伊藤菜衣子
暮らしかた冒険家/クリエイティブディレクター。「未来の“ふつう”を今つくる」をモットーに暮らしにまつわる違和感のアップデートを試みる。SNSとリアルを泥臭く奔走し未来の暮らしを手繰り寄せていく様を、坂本龍一氏は「君たちの暮らしはアートだ」と評す。監督した映画に『別れかた 暮らしかた』、著書に編集と執筆を手がけた書籍に『あたらしい家づくりの教科書』など。コーヒースタンド「COFFEEと______」のInstagramは @coffee.to.______
文章:山崎翔子(Okazaki Micro Hotel ANGLE)
公開日:2022.05.31