あの人のトライ:みんなのおうち連尺 小松恵利子さん

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左:小松恵利子さん 右:スタッフの黒木あい子さん

乳幼児の月極や一時利用の託児を中心とした「みんなのおうち連尺」。専業主婦をしていた頃、仕事をしていなくても、息をつくために子どもを預けたいと思ったり、2人の子どもを一緒に見るのは大変だったりした自分自身の経験から、親子お互いの精神的にもいいからと託児ができる場所を考えたのが、小松恵利子さんです。QURUWAエリアに位置する連尺通り沿いにつくった「みんなのおうち連尺」について、小松さんはこう語ります。

私が今やっていることは、家庭で過ごしている時間を作る延長なんです。去年ようやく保育士の資格を取ったくらい。特別なことではなくて、暮らしの中で困っている人を助ける。必要かなと思ったことをやり続けたら『みんなのおうち』ができた。求められていることに答え続けるのが私のやり方だと思う

「みんなのおうち連尺」について

2020年3月にオープンしてから、現在の利用者は20人ほど。「みんなのおうち連尺」がある康生地区は中心部なので、岡崎市の東西南北いろいろな地域の方が利用しています。時には、出張があって大阪や東京から来た人が1日だけ預かって欲しいという話も来るそう。小学生や中学生もアフタースクールとして年齢問わずに利用することができ、それぞれのやりたいことに合わせて、何をするかを一緒に考えているそうです。

スタッフは現在、子供がいない人・子育て真っ只中の人・70代の人・妊娠出産休みの人も入れて20人ほどいます。仕事も子育てもシェアしようと、自分の子どもを連れて出勤でき、ワークライフバランスを崩さないためにも長くて6時間、週に3日までと働き方も定められています。

「『お母さんがみる』『身内がみる』じゃなくていいと思うの。フランスだと、養子の子どもをベビーシッターが見ていることもあるから。『社会全体で子どもをみよう』ということを、もう少し伝えていきたいと思う」と小松さんは語ります。

母親が全てのことをやらなければならない社会の仕組みに対する疑問

小松さんのご実家は、江戸後期から祖父の代まで「加賀屋」という呉服屋だった「フジイビニール」です。昭和36年にビニール加工販売に事業転換して、呉服屋時代から8代目のお兄さまが継いでいるそうです。

岡崎で生まれ育った小松さんですが、高校は名古屋の女子校に。このまま進学して女子大に行くのは違うなと、東京の大学に進みます。当時はバブル期。誰でも就職できる時代だったので、みんな沢山の内定がでていたそう。

私じゃなくても、この仕事は誰でもいいんだと思ったら、就職も違うなと思ったんですよね。じゃあ『私じゃなきゃいけない』は何だろうと考えて。1年先に卒業した旦那さんから「結婚する?」と言われ、それだなと思って福島に嫁いだんです

専業主婦として3人の子どもを育てながら、母親が全てのことをやらなければならない社会の仕組みに疑問があったと言います。それを口にしづらい時代がすぎて、いつの間にか女性も働く時代に。子供が成人して、主婦の経験や学校や幼稚園のボランティアをしていた時の想い、自分が母親として欲しかったもの、嬉しかったことをしたいと思った矢先、震災があって子供と一緒に地元岡崎に移り住んだことで、福島との二拠点生活が始まります。

2013年から、一緒にやる人と場所とタイミングをずっと探していたそうです。自身の子育て、福島から子どもを呼び寄せる活動、市役所の人やボランティア活動を通じて、一緒にできる人と出会えたから「みんなのおうち連尺」を始められた、と小松さんは語ります。

物件も紆余曲折した末、2019年2月にご実家の「フジイビニール」の2階を改装して使うことに決めました。設計を担当した岡崎市出身で大阪を拠点にする建築家榊原節子さんとは、岡崎で2016年に開催されたリノベーションスクールで出会ったそう。榊原さんは当時の構想にも賛同してくれているだけでなく、ご自身でも保育園や子育て支援スペースの設計もされていたので、いいタイミングでお願いできたと、小松さんは語ります。

想いの根っこ

「『子どもと暮らす』と学ぶことが多いんです」と話すように、食べて寝て遊んでといった、根本的なことができてから、仕事やプラスアルファが初めてできるんだと気づいた小松さんはこう説明してくれました。

子どもと暮らして、何がしたい、何が食べたい、どうしたいを聞いて答え続けていったから今があります。子供の声が家族の声に、友達やその友達、近所やご近所、出会ったお母さんの声になった。『暮らすことと働くこと』『子どもを育てること』を、より充実した質の良い環境を作り出すことができたら。こうじゃなきゃいけない、じゃなくて『こうありたい』を作りたいんです。できるだけスリムにシンプルに

そして、これからの展望を楽しそうに話してくれました。

若い人のやりたいを応援したいの。新しくて楽しいことに興味があるし、チャレンジすることは好き。やりたいという人がいて、あった方がいいと思ったら、補助金もとっちゃう。工作機械をみんなのために入れたいという人がいて、そうしたら広い場所も必要だから、今度の空き家ツアーに参加するの。

小松恵利子
2011年3月11日福島県いわき市にて被災し、原発事故後3人の息子と実家のある岡崎市に避難。以来、福島と岡崎を往来しながら被災者支援、子育て支援を岡崎市で始める。2013年中心市街地の空きスペースに開設した子育て支援スペース「まざりん」の運営に携わり、2020年実家の5階建ビル2階を改修し地域愛着型託児施設「みんなのおうち連尺」をオープン。「共に暮らし共に育む」を理念に「ひと」と「まち」に寄り添う活動をしている。

文章:山崎翔子(Okazaki Micro Hotel ANGLE)

公開日:2022.03.31

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